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タイ国内初の事業を立ち上げ~「外国人」の自分だからこそ、できることがある – アジア・ダイナミック・コミュニケーションズ株式会社 代表取締役 佐藤大輔氏

Posted on 2015年12月15日
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IP電話革命に新ビジネスのアイデアを得た佐藤氏は、タイの政府機関に足しげく通って長期間の説得を経てタイ初のインターナショナル・コールセンター事業第1号の認可を取得した。現在はタイ進出する日系企業向けに自分の知見を伝えるべく、日タイを往復する日々を送っている。

「日本人代表」」のひとりとして

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バンコクに日本のコールセンターを作るビジネスを思いついてから、どのように実現されたのですか?

なぜ日本のコールセンターをわざわざタイまで持って行く必要があるのか。これは、このビジネスの性質上、人件費の安い土地でやった方が利益も大きくなるからです。インドやフィリピンでアメリカ向けのコールセンター事業が活況なのは有名な話ですよね。これはインド人、フィリピン人がネイティブ並みの流暢な英語を話すからこそ出来る事業です。 しかし日本語は特殊な言語ですので、日本語コールセンターのオペレーターは日本人以外考えられません。一部、日本語が話せる外国人を使ったコールセンターがありますが、評判が良くありません。そこで、日本人の人件費を日本の地方以下に抑えるためには、日本よりも圧倒的に生活物価が安く、日本人が生活するために十分なインフラがあり、かつ日本人が大好きな場所で事業を行う必要があります。バンコク以外にありますか? ところで、半年間の語学留学でタイにいた私が驚いたのは、日本人の不法就労者が多いことでした。彼らはタイが大好きで来ているのに、外国人就労規制の厳しさから違法であることに甘んじて働いていました。 「タイ好きの日本人が自分の意志で、合法的に働きながら定住できる方法は何だろうか」。コールセンター事業であれば彼らの雇用の受け皿となりえる。私がタイと深く関わるようになってからずっと抱えていたひとつの想いが、コールセンター事業というビジネスと結びついたのです。 そもそも、タイで外国人就労規制が厳しい理由は「外国人がタイ人の雇用を奪うから」ですよね。ということは、タイ人の雇用を奪わずして、タイに別のメリットをもたらす事業であればいいわけです。外国語コールセンター事業はタイ人にはできないビジネスで外貨を獲得できるわけですから、タイの国益に適っているはずです。 しかし当時タイ国内で外国人が起業・就労できる業種のうち、コールセンター事業はリストに入っていませんでした。そこでまずは許可業種として認定してもらうため、タイ政府内にあるBOI(投資委員会)という組織に対して、担当者を説得することから始めました。コールセンターが何かさえ知らない彼らに逐一説明するところから始め、この事業はタイにはデメリットどころかメリットしかもたらさないことなど、丁寧に、かつ確実に上役に伝えていってもらうことで、組織のトップであるBOI長官とお会いできたのは提唱を始めてから1年以上経ってのことでした。そこで関係者を多数交えての公聴会を経て、投資奨励業種リストに実際に加えてもらうまでにさらに半年。申請が全て通ったのは説得を始めてから約2年後のことでした。

タイで新ビジネスをするにはそこまでの忍耐が必要なのですね。その間、佐藤さんはずっとタイにおられたのですか?

日本とタイを行き来して、日本ではコールセンターのお客様獲得のための営業活動をしていましたが、申請に時間がかかっていること、他社での前例が無いことから苦戦続きでした。申請をやっとの想いで通した後も営業の成果は芳しくなく、とりあえず2003年に会社設立をしてスタッフを採用し、日本人観光客向けの三者間電話通訳サービスや日本の英会話学校の遠隔サポート、検索エンジン連動広告の検索ワードチェックなどをしていました。 2007年、BOIとの約束通り大規模なコールセンターを作らなくてはと焦りが出てきていた頃、日本と中国で大々的にコールセンターを展開するマスターピース・グループの佐藤修会長と出会いました。マスターピース・グループは中国・大連で日本語コールセンター事業を既に展開していましたが、大連の将来的な物価上昇と日本人不足のリスクを見据えていました。そこで「adcの佐藤さんに足りないものは日本での営業力と資金だ」と一緒に事業をすることを打診してくださり、社名もそれまでのアジア・ダイナミック・コミュニケーションズからマスターピース・グループ(タイランド)に変更し、コールセンターの規模も一気に150人を超えるまでになったのです。 私が2年かけて事業許可を作ったインターナショナル・コールセンター事業(後にBPO⇒IBPOと変遷、現在はTISOの一部)を営む会社は現在タイに40社以上存在し、現在そこで4~5百人の日本人が働いています。既に帰国や転職した方も含めると、少なくとも2千人以上がこの認可で労働許可を取得できたのではないでしょうか。私が最初に抱いた、タイ好きの日本人が自分の意志で合法的に働ける場を作りたいという想いの実現に少しは寄与できたのではないかと思っています。 事業が軌道に乗ってからしばらくして、私の手が離れてもいい頃だと感じたので、2012年に再度独立。最初にタイで事業を始めたときの社名である「アジア・ダイナミック・コミュニケーションズ」を再び使用して日本に新会社設立、日本とタイを行き来しながらふたつの事業に注力して今に至ります。

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紆余曲折を経て今の事業に辿り着いた佐藤さんですが、海外で仕事をする醍醐味について教えて下さい。

コールセンター事業の許可を得るまでの2年のあいだ、その過程で多くの人々に助けていただきました。BOI側からしても、どこの馬の骨とも知れない外国人が聞いたこともないビジネスをしたいと言ってくるわけですから、私のことを無下にすることもできたはずです。それが、しっかり話を聞いてくれて、最終的には長官にまで繋いでくださったわけです。これが日本だったら最初から相手にされていなかったかもしれませんよね。タイとの関係は今も良好で、先日も運輸長官にお会いしました。外国人であるだけで特別な存在になれる、日本ではできないことができる可能性があるというのが海外で仕事をする面白味だと思います。 外国人であるということは、「その国の代表だと思われる」ということでもあります。内田クレペリン検査の営業に訪れれば、なぜか「内田クレペリン検査の社長が来た!」と勘違いされることもしばしば(笑)。そのためトップアプローチがしやすく、チャンスも必然的に大きくなります。裏を返せば、私が約束を破ったり何か悪いことをしたりすれば日本人全体のイメージダウンにも繋がるわけです。日本人の代表として仕事をしているという責任感も同時に感じていますね。 また、一歩外に出てみたことで自分自身が変わるということもあるでしょう。タイから帰国後、内田クレペリン検査を初めて知った私は、数字しか用いないシンプルな検査方法を見て真っ先に「これは海外でも使えるぞ」と思いました。ところが早々にアポをとって担当の方にそのことを伝えたら、「日本国内で十分な需要があるので、今のところ海外には積極的に展開していません」との言葉が返ってきました。「このビジネスを外国でしたらどうなるか」という視点がごく自然に身についたのは、私が国外に出たからこそだと思います。日本国内では当たり前と捉えられていても、ひとたび海外に出たらどう大化けするか分からないものがまだあるかもしれません。それを発掘するもしないもどんな「視点」を持つか次第なのではないでしょうか。

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