私が新卒2年目で会社をやめ、セブ島での海外就職を選んだきっかけとは

2015.08.31

はじめまして。

フィリピン・セブ島で海外就職コンサルタントをしている平澤と申します。

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近年セブも日本からの留学生が急激に増え始め、今では年間約3万人の日本人が留学に来ているといわれています。

そんな留学生の卒業後の進路をサポートさせていただくことが私のお仕事です。

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語学学校で開く海外就職のセミナーの様子

 

私も2年前までは日本のIT企業に勤めるごく普通の会社員でした。

今回の記事ではそんな自分がなぜ海外で働き始めたのか、いくつかのきっかけをお話したいと思います。

 初めてのセブで抱いた危機感

私がセブに初めて訪れたのは約8年前。大学生の春でした。

 

今でこそ日本でもセブ島といえば英語留学ともてはやされていますが、

その頃のセブには日本人はおらず、見渡す限り韓国人ばかりでした。

言葉の例えではなく、本当にそうだったのです!

 

セブでたまたま母の友人が経営する語学学校を訪問させていただいたのですが、

そこで目にしたのは、当時の自分より若い10~16歳くらいの韓国人の子どもたちが、

フィリピン人講師と英語を必死に勉強している姿でした。

聞けば、韓国の子どもたちの間では、春や夏などの長期休みにセブへ来て英語キャンプに参加することが普通だそう。

合宿の言葉の通り、ご飯を食べる時間と寝る時間以外はほとんど英語を勉強していました。

そして、そのうち約半数の子たちが、次の進路としてアメリカやカナダなど欧米への進学を決めていました。

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当時セブで出会った韓国の子どもたちと

 

寝て遊んでばかりいた自分の長期休みとのギャップにとても衝撃を受けたと同時に、

なんとなく日本国内で完結してしまっている自分自身に危機感を覚えたことを今でも鮮明に覚えています。

そんな経験から、いつかは自分も英語を海外で勉強したい、海外でも活躍できるような人材になりたい、と思うようになりました。

 日本で就職、そして……

まずは日本で経験を積もうと決め、東証マザーズに上場していた30人規模のベンチャー企業へ新卒で就職。

自社の売り上げのために保険の自費での加入を社員に強制したり、

営業職の大半が会社に寝具を持ち込み週2、3日は会社に寝泊りしたりするような会社でがむしゃらに働く日々。

そんな会社の1年目、自分はそこそこの成績を出して2年目でマネージャーに昇格。

管理職として会社の期待に応えるような実績はなにも残せませんでしたが、

採用や公告の出稿、マネジメントなど貴重な経験を多くさせていただきました。

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趣味であるブラジリアン柔術の仲間と

 

海外へ強く意識を向けるきっかけになったのは、その頃持病で亡くなった父の存在でした。

ひとり暮らし用のアパート経営を長年に渡ってしていた父は、少子高齢化の波をもろに感じていたようで、

常々私に「日本でのアパート経営の時代は終わった。これからは東南アジアだ」と言っていました。

日本の未来を考えたら、一度は海外に挑戦したくなった

当時の自分にはその言葉の意味が全く分からなかったのですが、たまたまその頃関わっていたIT・旅行業界でも

「東南アジア」というキーワードをよく耳にするようになり、その言葉に惹かれ興味本位で調べていくうちに

国内にとどまるよりも海外に出たほうが楽しそうだということに気づきました。

その理由として、以下の3つがありました。

 

1)日本の人口、経済は今後も減り続けるのが目に見えている。

逆に東南アジアの国々は次々と人口ボーナス期に入り、爆発的な経済成長を続けている。

 

2)このままいけば、日本は外資を獲得しにいくか、 外国⼈労働⼒を積極的に受け⼊れていかざるをえなくなる。

 

3)東南アジアの安い労働⼒が⼊ってくるようになれば ⽇本国内のブルーカラーの仕事はほぼなくなり、

⽇本⼈には英語能⼒とマネジメント能⼒が求められるようになる可能性が⾼い。

  

これらの時が来ることを⽇本でただ待つよりも、⾃ら海外へ乗り込んで経験を積んでおいたほうが

将来の選択肢が広がるのではないか、と考えるようになったのです。

英語に⾃信はない。それでも諦めたくなかった海外就職

そこで上司に思いの丈を話し、仕事を退職。

⾝寄りのあったフィリピンのセブ島にてまずは英語の勉強を始めました。

しかし、滞在3ヶ⽉を経過した頃、⾝寄りにしていた家族が別の国へと移住することが決定。

予定よりも早く次のステップを考えなければならないことに。

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柔術では、フィリピンで開かれたアジア⼤会にも出場しました

 

英語でやっとコミュニケーションがとれるようになった程度の当時の私には、

仕事で英語を使う⾃信はまったくありませんでした。

⽇本への帰国も検討しました。

幸いにも、まだ若かったので、英語にこだわらなければ他の選択肢もそれなりにありましたが、

それでは仕事を辞めてまでフィリピンへ来た意味がなくなってしまう。

「このままでは絶対に帰りたくない。ここまで来たのだから突き抜けよう」 そう思い海外での仕事を探し始めました。

不安もありましたが、数年前にセブで⾒た英語を勉強していた韓国⼈の⼦どもたちの光景が、私の背中を押してくれたのです。

そして、たまたま今の会社がセブでBPO事業を⽴ち上げるというタイミングで、その⽴ち上げメンバーとして⼊社をすることができました。

代表以外に上も下もいない、オフィスも保険もない状態からのスタートとなりました。

ここまでが、私が海外就職をした経緯です。

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セブで無⼈島めぐりを楽しんでいる様⼦

 

私が海外に出てきて感じることは、

若いうちに0→1と英語の実務経験ができるチャンスが多いのは圧倒的に海外だということ。

私も⽇本が⼤好きですが、⽇本の若者にはもっともっと海外でチャレンジして欲しいと思っていますし、

それがいつか⽇本の⼒になると信じています。

これから、私が海外就職コンサルタントになったきっかけや、

「海外で働く」をテーマに、⾊々と書いていきたいと思います。

 

ライター

平澤 拡/Hiroshi Hirasawa

1989年宮城県仙台市⽣まれ。新卒でIT系ベンチャーに⼊社。2年目でマネージャーを任され、マネジメント、⼈事、営業、ディレクションなど幅広い業務を経 験。その後、⽇本だけで働き続けることに危機感をもち、単⾝フィリピンへ。2013年、株式会社ネオキャリアに中途⼊社後はセブでコールセンター、マニラで⼈ 材会社の⽴ち上げに関わる。現在はキャリアアドバイザーとして留学⽣たちのキャリア⽀援を⾏っている。

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