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一括りにはできない「アジア」を現地で実感!フィリピン留学に飛び出した3つのきっかけ

Posted on 2016年09月15日
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初めまして。今年の7月からフィリピンのUniveristy of the Philippines Dilimanに留学している増田杏香です。 今回は私がフィリピンに留学しようと思った3つのきっかけをお伝えします。 

 

1.表情豊かなアジアに影響を受けた小学生時代

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出典 Lenny K Photography on flickr

 

小学生の頃親の仕事の関係でシンガポールに住んでいた私は、アジア特有の気候や人々の温かさに触れながらのびのびとした生活を送りました。

 

この時の滞在からアジアに興味を持ったため、東南アジアについての知識を深めようと日本の大学に進学。 

専攻語であるフィリピン語の学習に取り組み、様々なクラスを受講するにつれて、アジアについての色々な面を知るようになっていきました。

 

大学入学前の私がアジアに対して持っていたイメージは、シンガポールのような華やかなもののみで、当時経験していた煌びやかな環境は、多様なアジアのほんの一部だったと気づかされたのです。

しかし同時に、発展された一面のみを東南アジアの総称のように伝える意見を聞くことも多くありました。

 

「東南アジア」と一括りにするだけでは見えてこない現状がある。

 この気づきを心に強く刻んだ私は、もっと幅広い視点でアジアを向き合いたいと思うようになりました。

2.日本だけでなく、現地の情報に触れてみたい

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フィリピンの歴史について学ぶにつれて、日本以外の国では自国の歴史や戦争をどのように伝えているのか興味を持つようになりました。

 

アジアを戦場に日本が激戦を繰り広げた第二次世界大戦。その後の様々な条約によって日本では「戦後の決着はつけられた」と解釈されているように感じます。

 

しかし、日本にある戦後資料のほとんどは自国の視点のみで執筆されており、当時の東南アジアについては軽く触れているだけ。

 

民間人をも巻き込んで日本と戦わざるをえなかったフィリピンでは、自国の歴史をどう語っているのか。

現在の日本とフィリピンの関係には、当時の出来事がどのような影響を与えているのか。

 

実際に現地でしか得られない情報に触れたいと思った私は、国内のみでなくフィリピンでも勉強しようと決意しました。

3.インターンシップで感じたフィリピン国内の格差

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フィリピンで学びたいと考えた私は、まずフィリピンでの生活を体験してみようと、大学2年次に現地のインターンシップに参加しました。

オンラインショッピングが専門のこちらの会社は、国内でも指折りのビジネス街Makatiに位置しており、社員は高学歴の持ち主ばかり。

 

しかしオフィスから1本道を外れると、物乞いをする子供たちや、路上で生活をしている人たちが多く目につきました。 

私がインターンをしていたオフィスがある高層ビルの向こうには、貧困層が生活するスラム街が広がっていたのです。

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たったひとつの国、ましてやひとつのエリアでも、華やかな部分とそうでない面がある現実を目の当たりにした私は、現地に長く滞在することで、フィリピンのもっと色々な面を知りたいと考えるようになりました。

 

このような出来事が重なり、「アジアの多様性を感じたい」「フィリピンを多角的に勉強したい」と思い、フィリピンに留学することを決めたのです。

 

フィリピン大学の授業には自分の興味分野に合致する授業があり、学びの多い日々を送っています。

これからはフィリピンで感じた様々なテーマで発信していきますね!

 

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Ambassadorのプロフィール


増田杏香

1995年生まれ。埼玉県出身。小学校時代をシンガポールで過ごした経験から東南アジアに興味を持ち、大学ではフィリピン語を専攻。現在はフィリピンに留学中。

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