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Webマーケティング企業に4年半勤めた私が、ベトナム就職を決断できた理由
はじめまして。平成元年生まれ・群馬県出身の野坂と申します。とにかく美味しいご飯と旅行が好きです。まず、私自身のことを少し。
大学卒業後、東京でWebマーケティング会社に入社し、
1年目は東京本社で広告運用を、2年目は他の代理店様に常駐するかたちで同じく広告運用、
3年目は、東京から福岡に転勤して広告運用から営業へと業種変更をし、今に至ります。
そして4年半目を迎え、この度ベトナムで働くことにしました。
このタイミングでベトナムで働く決断ができたことに関して、自分に感謝したいと思います。
好奇心から生まれた興味は、野心へとかわり、ついに現実となったのです。
東南アジアとの相性
17歳のとき、バングラデシュを訪れたのが、私と東南アジアの初めての出会いになります。
2週間の滞在にもかかわらず、今思い返してみても、
あの時のバングラデシュとの出会いが、26歳の今、ベトナムで働く決断を後押ししたと確信しています。
日本の国旗ととてもよく似ているバングラデシュの国旗ですが、
緑と赤で記された国旗の意味は「血」と「大地」。
戦争の苦しみから抜け出せない雰囲気を感じながらも、
活気と熱気に包まれるバングラデシュの人々の強い眼差しを鮮明に覚えています。
▲農村部では住民の重要な足である船にて(2012年撮影)
再びバングラデシュを訪れたのは、21歳のとき。
就職活動が始まり、情報が飽和している環境から一時避難するため、
現地での年越しを企画し、再びバングラデシュを目指しました。
滞在期間中のことはあまり詳細を覚えていませんが、
「松本」という名前の入ったジャージを着たタクシー運転手と喧嘩したり(日本の中古洋服がバングラに……)、
誰かの結婚式に参列したり(どんな関係かは忘れました)……。
特に衝撃的だったのは、ホテルの鍵が全室一緒だったこと(笑)。こわすぎ。
でもそんなカオスな環境を楽しむ仲間がいたし、それを楽しんでいる自分がいました。
その感覚がとても自分に合っていたんだと思います。
なんといっても井戸水を飲んでもお腹を壊さなかったという経験が、
東南アジアで生活することへの自信に繋がっています。
再び海外への想いに向き合う
縁もゆかりもない土地でゼロから始める生活は、自分にとって苦ではなくなりました。
友達も知り合いもほぼ皆無の環境は、自分がリセットされるような感覚でとても面白いです。
もちろん、慣れない土地に困惑し、何もできない自分に落胆し、福岡に転勤してから会社で泣いたこともしばしば。
その度に「強くならなきゃ」と自分に喝をいれてきました。
それから1年半、福岡の土地にも慣れてきて、
改めてどんな年にしたいか考えた時「海外」というキーワードが最初に浮かんできたのです。
いつからか忘れて奥底にいっていた想いが浮上してきました。
そこからは自分でも意識するように、逃げないように、「海外で働きたい」という想いを口に出すようにしました。
家族にも、会社の上司にも。
そして上司に伝えてから1ヶ月後、私は初めてベトナム出張の話をいただくことになります。
上司が与えてくれた、最大の機会 。
それを知った時は、ひとりで舞い上がるほど嬉しくて、この感謝の気持ちは言葉では表せません。
そして私は1週間の出張中に「暮らしやすそう!」の直感のままに、ベトナムで働こうと心に決めたのです。
周りの人や家族にも事後報告になるほどでしたので、私の人生で、最短の決断だったと思います。
決断のポイントは「時間軸」と「環境」
▲ベトナム出張での夕飯。全部美味しい!!
なぜそこまで短い時間でこのような決断ができたのか。
まず、現実的に多くの女性が直面する「年齢」という壁。
26歳の私も年齢の積み重ねを感じています。
周りでは結婚ラッシュが始まり、出産報告もあり、ライフイベントを順調に経験していく人たちが出てきています。
20代後半の期間をベトナムで過ごすと決めたことは私にとっても大きな挑戦ですし、不安はゼロではありません。
私のライフイベントはいつくるのかと(笑)。でも今はある意味絶好のタイミングだと思います。
まだ自分の家族もいない今なら、失うものもない。このタイミングを逃して、
来年までに海外に行けなかったら……と頭をよぎったとき、「このままでは絶対後悔する」と思ったのです。
そんな時間軸を考えると「可能な限り早く!」というのが決断ポイントになりました。
そして、ふたつめのポイントは環境です。
今回私は新たに日系のWebマーケティング企業・ベトナム支社で働くのですが、
全く新しい分野ではなく、4年半日本で取り組んできた仕事を活かして働ける環境であるということが決断を早くさせました。
なぜWebの業界を続けるという答えは明確で「経験しているから」というのもありますが、
「どこでも仕事ができるから」です。
ここからは妄想ですが、もし子どもができたとき、自宅でも仕事ができる環境にいたい。
もし相手の勤務地が急に変わっても、仕事は継続していきたいと目論でいます。
もちろんこれだけが理由ではないですが、女性としての私はこのように思っています。
旦那さんの勤務地が変わる度に自分の仕事が変わるなんて、ナンセンスだな、と。
ここまできたら、あとは恐れずに突き進むこと!
だってベトナムでもASEAN諸国でも若い世代の子たちが目の前で活躍しているんです。
そんな環境にいけることに、とてもわくわくしています。
とにかく私は決めたのです。
この決断は自分自身だけでできたものではもちろんありません。
機会(チャンス)、タイミング、出会い、すべてが私の決断の手助けをしてくれました。
もちろん、家族、友人、会社メンバーの想いを感じ、皆がいたからこそできた決断であったことは言うまでもない事実です。
「海外で働きたい」と自らの口で発信してから就職が決まるまでにかかったのはたった半年です。
改めて、自己暗示をすることと、発信することの重要性を体感しました。
今はまだ想像しかできないベトナムでの生活を、どこまで楽しむことができるのか、
新しい自分との出会いにわくわくしながら日本の夏を過ごしています。
夢をみていてもいいんです。
夢をみないと現実にならないし、自分の人生なんですから。
これから、ベトナムで働くこと、現地での生活など色々お伝えしていきますね。
今盛り上がってきているベトナムの広告市場状況のレポートや女性ならではの情報をお届けしたいと思います。
ライター
野坂 郁佳/Fumika Nosaka
1989年生まれ、群馬県出身。高校生のときバングラデシュに行ったのをきっかけに貿易に興味を抱き、同志社大学の商学部へ進学。大学時代は東南アジアを中心に長期休みはほぼ海外旅行に費やす。大好きな家族に支えられ自由きままに。物を所有することを好まず、いつでも身軽な気持ちでいたい。群馬→京都→東京→福岡→ベトナム→わくわくするところ。
by Nnn