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三ヶ月に一度。আমি বাংলাদেশে থাকি।【突撃!隣の彼女の海外ライフ】

Posted on 2017年06月30日
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私は今、バングラデシュを3ヶ月に一度出国しています。


ビザの関係で、バングラデシュで3ヶ月間暮らしては、2週間〜1ヶ月程日本に居て…というローテーションです。日本ではアルバイトもしたり、3ヶ月毎に生まれる課題や目標を前進させるため、協力を募ったり、相談できる人に会っていただいたりしています。


この3年で私のビザは、ツーリスト→学生→NGO→NGO→ビジネスになりかけてツーリスト→ツーリスト→ツーリスト…と変わっていきました。どのビザで暮らしていても、私の活動は、この国のほんの一部で、この世界の片隅のチッタゴン丘陵地帯という場所を映像や写真等で伝えることです。あの地域の根深い問題解決なんて言ったら望み過ぎかもしれないけど、現地の人たちと一緒の時間を生きながら、一緒に落ち込んだり笑ったり、そして一緒に向上できるようなプロジェクトを考えていきたいから、こうして何とかビザを取ってはこの国に帰って来ています。


3ヶ月に一度の出国はちょっと大変だけれど、バングラデシュでビザに苦労しているのは私以外の日本人もそうだし、海外で暮らしている人にとっては必ずと言っていい程立ちはだかる障壁だと思います。


理想を言えば、私にとって日本や他の外国は、仕事か人との再会などで、年に一度数日くらい行ければ良い…しかも今回の一時帰国では、なんと日本でお腹を壊したり、肌が荒れたり、ものもらいができたり、喉が枯れて声が出なくなったりと、どちらが母国だか分からないような感じになっていました。


そんなこんなですが、今はこの「三ヶ月に一度」も良い刺激や色々な整理整頓のタイミングにして、面白く新鮮な活動をここで続けていけたらと思っています。


ややこしいビザ事情の話が長くなりましたが、今回は、バングラへ帰って来た一週間にあった日常の出来事をお伝えしたいと思います。

帰って来たダッカの街は断食月中

私が帰って来た頃、バングラデシュではちょうどラマダーンの最終週を迎えていました。 


ラマダーン中は、外の飲食店はほとんどやっておらず、日没を迎える少し前の時間からこうして「イフタリ」(一日の断食後の食事)を道沿いのあらゆる店先で売り出し始めます。


モスクでのお祈りや、ラマダーンらしい一つユニークな道端の風景もあったのですが(それは、断食中も神様にちょっとだけ隠れられるテントの飲食店)、これらの写真はどう??とムスリムの友人に尋ねたら、彼らがちょっと苦い顔をしたので止めました。


また、バングラデシュでカメラを向けて映像なり写真なりを撮ること早7年…ベンガル人に初めて「パーミッション(許可)あんのかー!」とこの時に怒鳴られました。写真に撮られることがわりと好きで、催促してくるぐらいの気質の人たちだったのに?とその反応に驚いたけれど、断食月の終盤且つ一日の断食解禁時刻目前ということで、さすがに苛立つ頃なのかもしれない…と、気にかけずごめんなさいと思いました。



動画は、家の側のモスク脇の風景です。断食時間帯に仕事をセーブする人たちの風景があるかと思いきや、会話や態度からぐったり感が出ている人たちはいても、見た目では意外と結構稼働している様子です。引っ切りなしに左右から行き交うリキシャや乗ってくる人・物を観察して、私は違う楽しみを見付けてしまっていました。

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毎日は重たいけれど、また来年も食べたいイフタリです。

帰省ラッシュ

ラマダーンを終えると、「イード」と呼ばれる祝日(3連休程)がやってきます。それに伴い、首都ダッカの街から、みんなそれぞれの田舎へ帰省していきます。今年はラマダーンが5月28日から6月25日までだったので、イードは6月26日から始まりました。


帰省のタイミングはおのおので、だいたいはラマダーンが終わる2~3日前がピークとなるのですが、私の友達は主に仏教徒(チッタゴン丘陵地帯の少数民族の子たち)が多いので、彼らはラマダーンに入るとこの街にはいつも以上に居辛くなるため、試験や仕事が片付き次第さっさ!と田舎に帰り出します。


バングラデシュの田舎へ帰る交通手段は、まだやはりバスが主流かと思います。私もいつも、夜にこのバスへ乗り込んで、ごちゃごちゃしたダッカの風景から、朝になると広い長閑なバングラデシュの田園風景に変わっているのがとても大好きで…本当に空気が変わって、大袈裟じゃなく泣きたい気持ちになるのです。


色々あって、今はダッカに家を置き、田舎の方へ出かけていくパターンが多いけれど、いつかは田舎に竹の家を一軒建てて暮らしたい! 


話は戻り、イードは家族とゆっくり過ごしたり、親戚の家を訪れたりして、一ヶ月間食べていなかった朝食や昼食(日中の食事)をみんなで楽しく摂ろうという過ごし方をします。そしてイード用に、新しいサロワカミューズ(女性の伝統服)やパンジャビ(男性の伝統服)を買ったりもします。イード前の女の子たちは、「イードの服買った?」「どんなの?」といった会話を挨拶ぐらいにみんなしていて、可愛らしいなぁと思います。


 


 

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↑ イード用の服を買うために、お店はいつも以上に混雑。特に「アーロン(Aarong)」というお店は、ちょっと高級だけどデザインがすごくオシャレで大人気です。バングラデシュのアーロンは、世界最大のNGO BRACが運営していることでも有名です。


 

イード・モバロク!

 


「イード・モバロク」はアラビア語で、イスラム圏共通のラマダーン明けの挨拶だそうです。


イードには、私の友達もほとんどがそれぞれの実家へ帰ってしまうので、今年は私もその一人のお家へ一緒に帰省させてもらいました。


せっかくだから、ラマダーンやイードを正式に行うムスリム(イスラム教徒)の友人にお願いして、イード初日に一泊、ガジプールというダッカからバスで一時間程の田舎へ行きました。


友人のマスムさん一家と、日中はマスムさんの実家へ、夕方から翌日までは奥さんの実家へ。 


イードには、鶏肉や牛肉、お魚のトルカリ(カレー)などのご馳走を食べますが、以下の3品は、バングラデシュで伝統的なイードの軽食なのだそう。


左から「シェマイ」はココナッツ味、真ん中「チョットプティ」はひよこ豆・野菜・ゆで卵を混ぜ合わせて辛めに味付けたもの、右の「パエッシュ」は牛乳とお米を混ぜたスイーツです。 

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バングラデシュの人たちは、いつも気軽に自分たちの伝統や食事を分かとうとしてくれて、バングラデシュの田舎は、なぜか懐かしい気持ちにさせるように日本から来た私の心を癒してくれて…


そんな知られざるバングラの良さが、もっともっとたくさんの人へ伝わっていったらいいなあと思います。

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↑少女の目線の先にはこの景色がありました。

経験した日: 2017年06月26日

Ambassadorのプロフィール


NatsumiA

1985年生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリーの課題制作がきっかけでバングラデシュを訪れる。卒業後、映像制作会社の勤務を経て、2014年より単身でバングラデシュに暮らし始める。主な活動地は、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの地域で、少数民族と深く関わり、写真・映像制作を行っている(ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』【国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞 および 青年海外協力隊50周年賞受賞】、写真集『A window of Jumma』【クラウドファンディング】など)。現在は、ロヒンギャ難民キャンプにも活動を広げ、ChotoBela works という現地団体を立ち上げ、バングラデシュの子どもたちの "子ども時代 / チョトベラ" を豊かに彩ることを目標に、移動映画館(World Theater Project バングラデシュ支部代表)、アートクラス、カメラ教室、スポーツデイなどを開く。また、バンドルボン県で、クミ族とムロ族の子どもたちが寄宿するキニティウという学校をサポートしている。

NatsumiAさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート