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映画館が危険な場所なんて嫌だ!バングラデシュの映画事情 বাংলাদেশের চলচিত্রের অবস্থা হবে 【突撃!隣の彼女の海外ライフ】

Posted on 2017年09月22日
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こんにちは、natsumizoです。実は映画学科卒業、今も映像をささやかながら撮る者として、いつか書いてみたいと思っていたテーマ、バングラデシュの映画事情について今回はお話します。


 


この度 首都ダッカにある4つの劇場を巡り、より詳しく調査してきたものと、これまでに直面し感じてきたこの国の「映画と人々」の関係について思うこと。「映画館は危ない場所」とバングラデシュでは聞いていたのですが、今回は友人にお願いしてついに乗り込んできました。


映画館が危ない場所だなんて……絶対に嫌だ!


 


 

ダリウッド!タリウッド!ボリウッド!

バングラデシュの映画館で目にした映画は、「やっぱり!」と思うほどダンスシーンが欠かせないものでした。


 「ボリウッド(Bollywood)」という言葉をご存知の方も多いのではないでしょうか。ボリウッドは、インド(ムンバイ/旧称ボンベイ)をメッカとする、歴史ある撮影所で製作、世界中へも発信されているヒンディー映画です。「ハリウッド」の名から派生していることは一目瞭然ですね。


次に、これらはご存知ですか? 「タリウッド」と「ダリウッド」。タリウッド(Talliwood)がインド・コルカタ発のもの、Dalliwoodがバングラデシュ・ダッカ発のものの名称なのです。すべて細やかな違いや特徴はあるのですが、踊りが大事なことは一緒なのですね。


 


私が訪れた映画館でたまたま観た上の写真の作品は、タリウッド・ダリウッドの合作映画だそうですが、この製作パターンは結構多いそう。インドのコルカタは西ベンガル州。ここはバングラデシュで言うベンガル地方の一部でもあるので、バングラデシュの国語であるベンガル語が話され、ベンガル文化をもつことを理由に、映画の合作も多いのだそうです。


 


 

ボラカ シネマホール

バングラデシュのローカル映画館、ボラカ シネマホール。パキスタンからの独立(1971年)以前、1968年に設立された歴史ある映画館です。


看板にあるように、ベンガル地域のアートシネマを中心に、最新のタリウッドやダリウッド映画、国やアート界の著名人が亡くなったりした時はそれらを追悼するような過去の作品を流したりする、あたたかい印象の映画館でした。屋内はやや古めでしたが、日本でいう公会堂のような雰囲気です。


ちなみにボラカは白鷺のことで、国の航空会社ビーマン バングラデシュのロゴもボラカであるように、国を象徴する鳥です。入場料は200タカ(280円)でした。


 


 

アノンド シネマホール

今回冒頭に掲載した写真は、このアノンド シネマホールの外壁前で撮ったものです。アノンドとは「歓び」という意味。


バングラデシュでは、あの類いのド派手な映画ポスターがとても印象的です。最近は写真ポスターもありますが、絵のポスターも依然根強く残っています。


 


このアノンド シネマホールのような映画館が、今のバングラデシュでは一般的な映画館といえて、似たようなタイプが街には点在しています。こちらも、1974年設立と同じくらい歴史ある映画館です。


外観写真は割愛しますが、お隣にはお色気ムービーのシアターも併設されていました。なんだか昔、日本にもあったような……そんな情緒を感じ、入ってみたかったのですが、一緒について来てくれた友人に断られてしまったので、残念……。またいつか!


 


 

映画の始まりには国旗と起立!?

Picture by Julian Bawm


 


アノンド シネマホールの入場料は50タカ(約70円)。ドキドキしながら入り、いよいよ映画が始まる、と思いきや、最初にスクリーンに現れたのはバングラ国旗がたなびく映像でした。


 


その瞬間、観客全員が立ち上がったのです!


数館を巡った結果、立ち上がる行動はすべての映画館で起こったことではなかったのですが、この光景に最初私は驚きました。友人いわく、国に敬意を払ってのマナーのひとつだとのこと。


他にも、約2時間の上映のあいだに一度休憩を挟むことや、上映中「いいぞ!」というような俳優へのエール、「暗いぞ!」と映写係に注文が入ること。映画の終わりには拍手が起きるものの、次の上映が5分後には始まるので、観客の入れ替え作業が早いこと。薄暗くても自分でなんとか席を探せるところを、わざわざペンライトで案内をしてくれるおじさんがいて、しかも「20タカ(約30円)くれ!」と言ってきたことなど(笑)、驚きの連続でした。


 


 

ちょっと悲しいシアター環境

これらの様子には驚きました。これがバングラデシュの定番の映画館の現状なのでしょう。


日本の映画館を知っていれば、この現状を「酷い」や「残念」などと感じるかもしれませんね。現地の人にとってはどうだろうと思い、友人に「映画館ってどれくらい来るのが楽しみなもの?」と尋ねたところ、「ネットやDVD(海賊版率も高い)で見られるから……」「映画館で上映されているのは2~3年前の旧い作品が多い」「座席、空調、音も映像も良くないから」と、映画館へのイメージはあまり良くないようでした。


確かに私も同様に感じる部分もありましたが、映画館で映画を観る理由や楽しさは、別にあるはずなのに、と悲しく残念に思ってしまいました。


でもそれは私が日本人であり、日本の映画館の在り方と比べるからで、また映画に携わる者であるせいなのかもしれません。皆さんはどう思いますか?


 


 

消えゆくローカル映画館と、台頭する新しい映画館

上の写真は「プルニマ シネマホール」という看板だけが残る映画館の跡地です。一緒に巡ってくれた友人も、来てみて初めて閉館していたことを知ったそうです。近くで煙草を売っていたおじさんに聞くと、ちょうど5ヶ月前に閉まったのだとか。


1988年に始まった、「満月」(プルニマ)の名のついたシネマホール。


 


先に挙げたシアター環境も理由にあるかとは思いますが、このプルニマ シネマホールの真横にはバングラで1~2番に大きいショッピングモール「ボシュンドラ シティ」があり、その最上階には、約10年前「STAR Cineplex」 というシネコンができました。 


約2週間~1ヶ月周期に、5本ほどが同時に上映されていて、4本がハリウッド映画(しかも絶対と言っていいほどアクションかホラー)と、1本がダリウッド(バングラデシュ映画)という割合です。


 


ちなみに、これまで紹介したどの映画館にも、ボリウッド作品(ヒンディー映画)はほとんど上映されていません。ベンガル映画界に商業的支障を与えるからとも聞きましたが、過去にヒンディー(インド)の映画、テレビドラマや歌が入ってき過ぎたことで、子どもたちがベンガル語を忘れかける、といった問題があったのも大きな原因なのだそう。


 


館内の様子は、日本のシネコンと似ているので説明は省きます。チケット代は250~400タカ(350~550円程)ですが、一般的なローカルシアターに比べたら5~8倍の値段。これは、市民の誰もが来れて、楽しめるものではありません。なので、写真のように映画館やポスターの前で記念写真を撮る光景はよく見かけますし、SNS上でもよく挙げられています(それほど特別!ということかと)。


 


そして、驚くことがまたひとつ。ここで観られるハリウッド映画には、吹き替え版はおろか、ベンガル語字幕さえついていないのです! みんな英語をそのまま聞いて観ています。


英語が苦手な私は、この日観たハリウッド映画をほぼ画だけで楽しみました。セリフを理解したのは10%くらいでしょうか。一緒に観た友人はダッカ大生(バングラの東大生!)だったのですが、英語セリフの理解度は60~70%とのこと。


この国では試験や電子機器の扱いも英語であることが多く、それなりに見聞きできるのも普通。途上国であるために外からの物資が不可欠ということの現れですが、良く言えば、おかげで英語ができる、ということでもありますよね。 


 


最後に、バングラデシュの人々は映画のエンドロールを観ません。以前その様子を目にした時から、ショックとして心に残っています。それだけでなく、エンドロールが始まった途端館内に灯りがついて、映像が消されることも……。いつかバングラデシュの人にも、作り手に想いを馳せる、馳せたくなるような映画を届けられたらと思います。


 


 

フィルムフェスティバルと海外映画

ここまで話すと、バングラデシュと日本では映画事情、環境も趣向も随分異なるなぁと思われてしまったかもしれません。その違いも面白がっていただければとも思いますが、一部では「自分たちの映画を『作ろう』。 きちんと『観せよう』」といった、若者たちの新しい動きもあります。


上の画像の「ヒルトラック映画祭」は、チッタゴン丘陵地帯のランガマティで3年前に学生主導で始められたもの。過去に繰り返しお伝えしたように、チッタゴン丘陵地帯とはこの国の少数民族の先住地域で、マジョリティであるベンガル人の入植により刻々とその風景が変わり、歯止めをかけたいがために国内で暴動などの事件が起きる問題の場所。そして私たち外国人も許可なしには入域したり仕事したりできない場所です。そこで、自分たちのアイデンティティを忘れないために彼らの伝統的な映像・映画を撮って観ること、また外部のエンターテイメントを容易に手に入れられない地元の人たちへ、外の映画を紹介しようなどとしています。


ここに、日本の映画をもっていけたら……。彼らの言語に吹き替えできたら……。それは、私の目標のひとつでもあります。劇映画もいいですが、「日本のアニメがやってきた」なんてことを想像したら、ワクワクします。


 


悔しいことに、日本大使館がささやかに開催していたジャパン フィルムフェィスティバルでさえ、昨年の7.1テロ以降は行われておらず、その脇でコリアン フィルムフェスティバルが盛り上がってきていることが私には悔しい……。それに「日本の映画、何か最近観た?」と尋ねれば、たいていが高校生の恋愛を描いたようなものばかりで、それらが悪いとは言いませんが、なぜそう偏っているんだろうと不思議に感じます。日本人の俳優や歌手も、現地で知られているのは昔の人ばかり。


 


 

映画と人間。忘れられないひとつの光景

私にとって映画はエンターテイメント以上の意味をもつものです。


一昨年、ダッカ大学構内で行われた小さな野外上映会での光景は、今も忘れられません。それは現地の人が作ったドキュメンタリーフィルムを見る会で、内容は決して簡単ではなく、しかも天候は小雨、停電なんかも数回起きるような環境での上映会でした。


そのオープンスペースの野外上映会の席に、ちょこんと座っていた小さな存在。ストリートチルドレンの男の子がスクリーンを見つめていました。彼の顔が光に照らされた瞬間、それが笑顔だと分かった時……。


あの光景は今でも忘れられない。そんな光、映画をやっぱり届けたいな……と、思い出す度 心を新たにさせられます。


 

経験した日: 2017年09月21日

Ambassadorのプロフィール


NatsumiA

1985年生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリーの課題制作がきっかけでバングラデシュを訪れる。卒業後、映像制作会社の勤務を経て、2014年より単身でバングラデシュに暮らし始める。主な活動地は、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの地域で、少数民族と深く関わり、写真・映像制作を行っている(ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』【国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞 および 青年海外協力隊50周年賞受賞】、写真集『A window of Jumma』【クラウドファンディング】など)。現在は、ロヒンギャ難民キャンプにも活動を広げ、ChotoBela works という現地団体を立ち上げ、バングラデシュの子どもたちの "子ども時代 / チョトベラ" を豊かに彩ることを目標に、移動映画館(World Theater Project バングラデシュ支部代表)、アートクラス、カメラ教室、スポーツデイなどを開く。また、バンドルボン県で、クミ族とムロ族の子どもたちが寄宿するキニティウという学校をサポートしている。

NatsumiAさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート