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ミャンマー・ヤンゴンの片隅で。毎月恒例、ダラでドネーションに行ってきた

Posted on 2018年04月02日
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ミンガラバー。ヤンゴンで探偵をしておりますPhilip D徳 Marloweです。
私がミャンマーに移住して間も無く丸2年が経とうとしていますが、その間のミャンマーの、特に最大都市ヤンゴンの発展は目覚ましいものがあります。


普段着だった民族衣装・ロンジーを着る人々は、若い人を中心に年々減る傾向にありますし、クリスマスやバレンタインデーなどといった外来文化も徐々に盛り上がりを見せつつあります。あと4~5年もすれば街も人も文化も、今とは見違えるほど変わっていることでしょう。


しかし、変化に適応し進化していくものもあれば、変化に取り残され置き去りにされてしまうものもあります。今回はヤンゴンのダウンタウンからヤンゴン川の対岸にあるダラという地域について改めて書きたいと思います。


 


■過去のダラ訪問記事はコチラ(リンク)


 


 

発展から取り残された地域へ

ダラでは、ミャンマーの原風景ともいえる光景を体感できる


 


ダラへは、ヤンゴンのダウンタウン付近の港からフェリーで僅か5分ほど。日本人であれば、パスポートを見せれば無料で乗船可能です(他の外国人は片道2,000mmk)。フェリーに乗ると、怪しいミャンマー人の若者が気さくに片言の日本語で話しかけてきます。騙す気満々なので無視しましょう。


一方で、物売りの小さな子どもたちは目をキラキラさせながら、一生懸命に商売人として我々に物を売ろうとしてきます。子どもの、誠実な商売をしようとする姿勢に毎回胸を打たれ、私もカモメの餌をいつも買ってしまいます。


 


ダラに到着すると、もうヤンゴン中心部では見ることのできないミャンマーらしい原風景を目の当たりにすることができます。馴染みのドライバーが運転するサイドカーという自転車タクシーに乗り、バンブービレッジという貧民街へ向かいます。


 


 

ひとりで始めたドネーションも、今では大人数で行くように

町の子どもたちがタナカを塗ってくれました


 


ダラへ行く目的は単純に顔なじみとなった彼らとのコミュニケーションを取るためです。初めてバンブービレッジを訪れて以来、住民と交流するためのきっかけづくりとして、毎月一度お米のドネーションを、最初はひとりで行き始めました。


ダラ方面は治安があまり良くないこともあり、訪問に慣れた私に同行したいという声をいただくようになり、次第にツアーも兼ねて複数人で訪れるようになりました。元々シェアハウスを私自身が運営していて、日々多国籍の外国人が短期で出入りしていることからタイミングよく参加してくれることもあって、多くの人たちが関心をもってくれるようになりました。


 


 

数年後にはなくなるかもしれないダラ

イスラエルから遊びに来てくれた友人は「ここがミャンマーで一番印象に残った」と言ってくれました


 


ヤンゴン市内に住んでいるミャンマー人でもダラへ訪れたことがない人は多く、ヤンゴン市内の生活に慣れた外国人にとっても、川ひとつ隔てた地域との落差と格差には驚きの連続のようです。将来的には韓国系企業が橋を建設することになっていて、数年後には地域間の移動が容易になることから大きくダラも変わっていくでしょう。既に土地の価格は高騰しつつあり、バラック小屋のような家に住んでいる人々に対して立ち退き勧告が政府から出されているエリアもあります。


そんな地域の変化の兆しを感じながら、一方で変化に取り残されて為す術のない人たちがいます。


私の取り組みは決して良いことをしているとも、それによって何かを変えられるとも思っていません。それでも私がこの地域に訪れるのは、そんな苦境にあっても笑顔全開で私をいつでも受け入れ、元気づけてくれる人々や子どもたちがいるからです。彼らの底抜けの笑顔を見るたびに、この国でもう少し頑張ってみようという気にさせられるのです。


ミャンマーに訪れる際には、ぜひダラへもご訪問ください。ご連絡をいただければいつでもご案内いたします。


 

経験した日: 2018年04月02日

Ambassadorのプロフィール


D徳

福岡県出身。中学は1ヶ月のみ登校、高校は未進学。フリーターとなって全国を旅して回る傍、大検を取得し大学入学。09年の卒業後リクルート(現・リクルートライフスタイル)新卒入社。人口1万人の長野県小布施町役場に出向し、2年間、交流人口拡大と移住定住促進を担当。15年にリクルートを退職し、佐賀県庁に入庁。地方創生部門の立上げに参画し、移住・定住施策を実施。2016年3月に退職しフィリピン・セブ島へ逃亡。その後、学生時代含め10年間携わってきた地域活性化の分野と日本から離れ、2016年4月よりミャンマーへ移住。2018年4月〜6月まで無職を謳歌。ヤンゴンの公園でけん玉の練習に明け暮れる日々を過ごし、このままミャンマーの地方で世捨て人になろうと考えるも、紆余曲折あり、ヤンゴンで新米経営者として奮闘中。 不登校や移住・キャリア相談など各種お問い合わせは下記にお願いします。 takutisan@gmail.com

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ミャンマー に関するノート