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バングラデシュの伝統的な結婚式をレポート 〜 義弟の結婚に感じた疑問やストレス〜

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バングラデシュの披露宴の様子


こんにちは、アーメッド弥央です。


 


ほぼ1年前の記事で紹介した、のんびり屋でニートの義弟ですが、今年3月にお見合い結婚しました。バングラデシュの結婚式については、私の結婚式を紹介したことがありました。しかし、私が外国人、夫も長くバングラデシュから離れて暮らしていてローカル文化に疎かったこともあり、バングラデシュの伝統的な様式に従ったというよりは、オリジナルの要素が強いものでした。


それに比べ、義弟の結婚式はかなり正統派だったので、今回改めてバングラデシュの結婚について紹介します。同時に、義弟の結婚の一連の流れに見た、バングラデシュのお見合い結婚について私なりの違和感や疑問についてもお伝えしたいと思います。


 


 


 

お見合い結婚、その背景には色々な事情が......

花嫁の家でのガエ・ホルード


私が以前紹介した義弟の記事をご覧になった方であれば、「職にも就いていない状態で結婚なんて......」「そもそもお見合いに応じてくれる相手なんているの?」と疑問に思われるかもしれません。今回のお見合い結婚が成立した背景には、夫の家族独特の考え方やバングラ特有の事情が関係しているのです。


 


夫によると、元彼女との失恋によって何事に対してもやる気を失いニートになってしまったという義弟。彼の家族のあいだには、義弟に元彼女を忘れられるような新しい相手ができれば、更に「結婚」によって責任が生じる環境になれば、彼も元通りになるのではないかという考えがありました。


義弟本人はお見合い結婚にかなり消極的でしたが、夫はそのような考えでどうしても結婚を進めたかったようで、夫の経営する会社で職を与えるから結婚して欲しいと頼んだのでした。そしてその条件に納得し、義弟は結婚を承諾しました。


 


お嫁さんには、義弟のいとこにあたる女性が候補に挙がりました。穏やかで優しい性格の義弟ですが、普通の感覚であれば職なしの人と結婚したい人や、娘を結婚させたい親は少ないと思います。しかしながら、その女性の家庭では過去に、娘たちが変な男(経歴を詐称した等) と結婚し離婚したということがあるせいで、家族全体に対する周囲からの評判が悪くなってしまい、普通にお見合い相手を探していても見つからないという事情があるようでした。


 


これは、姉妹の問題は姉妹の問題であって、他の家族のメンバーとは関係ない、ということではなく、ひとりの問題は家族全体の問題として捉えられるバングラデシュの考え方が背景にあるようです。その為、昔から気心が知れた親戚同士の結婚であれば信頼関係は十分にできているので、彼女や彼女の家族にとっても今回の結婚は都合が良いことのようでした。


 


この時点で、個人的には既に色々な疑問が湧いていました。今まで何年間も働かず、それに対して自身に危機感もなかったような義弟が、結婚を機に本当に変わることはできるのだろうか? 家族が結婚を推し進めたい理由は分かったけれど、肝心の本人が消極的なのに無理強いする必要はあるのだろうか? 職を約束することで結婚まで承諾してしまう義弟の感覚ってどうなの? などなど......。


何はともあれ、このような背景のもと、お見合い結婚を進める運びとなりました。


 


 


 

たった1ヶ月で完了! 婚約から結婚式までの流れ

花婿の家でのガエ・ホルード


 


結婚までは、2月に婚約、3月に結婚そして披露宴という流れでした。


婚約については、大型ショッピングモール内のカジュアルなレストランで、本人たちや家族に加え多くの親戚が招待され行われました。日本で婚約というと、ある程度格式が高いレストランで行われるイメージがありますが、バングラデシュではKFC(バングラでは高級レストランの類に入るのだとか!)といったファストフード店でも行われるようです。婚約の儀式は、Kaziと呼ばれる人によって婚約を承認する文言が唱えられ、指輪の交換が行われ、最後にみんなでご飯を食べました。


 


結婚のイベントは2日間に渡って行われました。1日目は花嫁と花婿それぞれの家でガエ・ホルードと呼ばれるイベントを行いました。結婚前に体を清めるという意味で、ターメリックの黄色い粉を参加者が次々に花嫁と花婿の顔などに少しずつ塗ります。参加者がターメリックをひと塗りした後、用意されたご馳走をひと口ずつ食べさせます。昼間は花嫁の家で行い、夜は花婿の家で同じことを行いました。花婿の家イコール私が住んでいる家なのですが、バングラデシュらしく2〜3時間ほど遅れて始まったこともあり夜中まで宴がワイワイ続いて、小さい子どもがいる私はストレスが溜まりました( 笑)。


 


2日目、いよいよ結婚本番。朝は花嫁の家へ花婿や花婿の母、他には主に男性の親戚が向かい、婚姻手続きを行う役人を招いて婚姻を行いました。そして夜は披露宴。大きなコンベンションセンターのような場所で、約300人も招いて行われました。バングラデシュは大家族が多く、招待する親戚がかなりの数になるということと、ちょっとした知り合い程度の間柄の人も招待することが多いので、基本的に数百人という単位でお客さんを招待することになります。披露宴の時点で、義弟は夫の会社で働き始めてまだ数日でしたが、会話もしたことのない人含め同僚全員に招待状を手渡していました。また、当日は義弟とは何の面識もない同僚のいとこまで来ていたくらいでした(笑)。


披露宴の段取りもかなりユルく、花嫁と花婿が式場に到着するのも始まってから1時間半後でした。遅れた理由は「交通渋滞」とのこと。予測できていることなのだから、それを見越した予定を組めば良いのに、と思うのは日本人の感覚で、バングラデシュでは細かいことは誰も気にしないユルさで披露宴は進行していきます。


 


披露宴の内容は、ご馳走を食べて、お花などできれいにデコレーションされている高砂で新郎新婦と写真を撮るというシンプルなものです。参加人数も多いので食事は2部制となっており、時間を分けて交代にテーブルに着席して食事をとっていました。


 


19時頃から始まった披露宴が終わったのは23時過ぎでした。結婚式後に披露宴の清算があり、少し持ち金が足りなかったようで私たちまで足止めをくらい、バングラデシュらしい相変わらずのグダグダぶりで疲れてしまいました。


 


 


 

色々と感じた違和感やストレス

私と夫。私たちの関係は良好ですが、周りの家族の環境は荒れています......


 


今回の義弟の結婚について、個人的には正直お祝いする気持ちがあまり湧かず、反対に「文化の違い」では許容できない、バングラデシュの事情や家族、一部の親戚への反発心や呆れる気持ちが強くなってしまいました。


 


一番違和感を感じたことは、世間体を気にするあまりなのか、それとも何も深く考えていないのか、「結婚をする」ということ自体が目的になり、お見合いを強硬に推し進めていく新郎新婦の周りの環境でした。元々親戚同士とはいえど、結婚前に義弟とお嫁さんの交流はほとんどなかったようです。婚約の場で顔を合わせてもお互いに会話もなく、また当日まで会うこともなく結婚を迎え、披露宴が終わった日にいきなり一緒の部屋で住み始めたのです。距離の縮め方が急すぎて無理があるのでは、という印象を抱くのは否めませんでした。まともに会話もせずに気が合うかどうかも分からない相手と今後の人生を共にする約束をするということが、どんなにリスクが高いことか、誰も考えていないようでした。


 


結婚後の様子を見ても、「親が決めたことだから」と腹をくくっているお嫁さんに対し、義弟は未だ心の準備が整っていません。また、結婚を承諾した最大の理由も自分の職が確保される点にあったことから、お嫁さんにいきなり愛情をもち始めることにも無理があります。お嫁さんとたくさん話したり、一緒に時間を過ごしたりという努力もすることなく、傍から見ても健全な結婚生活を送っているとは言えません。結局、家族が思っていたような結果( 結婚によって義弟に責任感が生まれまともな人間になる) には到底なっていません。私は、婚約前からずっとお嫁さんに対して深く同情しています。


 


更に、肝心な夫の会社での仕事についても、彼のバックグラウンドとは異なる職種での仕事ということもあり、求められている能力を全く満たせずにいます。、その為、あまり重要な仕事も任せてもらえず、不満を漏らしている状態です。不満を漏らすだけならまだ良いのですが、このことを「兄( 私の夫) が自分を会社から追い出すためにしている嫌がらせ」と思い込み、更には「 この仕事を辞めたら離婚する」 とまで言い出す始末です。このことを知った一部の親戚が、本質の問題である義弟の仕事のパフォーマンスをどうすれば改善できるのかということを考えずに、夫に「 なぜ重要な仕事を与えないのか」 と文句を言いに来たりもしていました。この一連の茶番のせいで、私までとてもストレスが溜まりました。


 


そんなこんなで6月に入った現在では早くも離婚の話も出ているほど、ぐちゃぐちゃな状態になっています。私は今回の一連の出来事で、自身の結婚も仕事も何ひとつ自分でコントロールできない義弟や、彼を擁護し続ける親戚に愛想をつかし、またこのような事態を招いた、「結婚はして当たり前」「結婚しなければいけない」といったバングラデシュの社会通念がどうしても受け入れがたく、精神的に疲れてしまいました。


 


ネガティブな締めになってしまいましたが、バングラデシュに嫁いで家族の一員として生活するということはどういうことなのか、自分のロジックでは理解できないことに遭遇した時にどう対処すれば良いのか、ストレスを軽減するために家族との付き合い方はどのようにすれば良いのかなど......、育児など家族が助けになってそれなりに順風満帆だったこれまででは考えたことのないようなことについて多く考えることが増えました。前向きに考えれば、これからもバングラデシュと関わっていくために、問題解決のケーススタディになったかなと思っています。


 


 

経験した日: 2018年08月10日

Ambassadorのプロフィール


アーメッド弥央

1988年生まれ、北海道出身。異文化と触れ合い新しい世界をみることが好きで、アイスランドの留学や世界約35ヶ国への旅、また東京で国際交流を目的としたNPO「Japanize」を友人と運営した経験あり。東京、シンガポールでの勤務を経て、2016年1月にバングラデシュに移住。バングラデシュ人の夫が経営するスタートアップHishabにて、ボイスユーザインターフェースのERPを新興国マーケットに展開中。

アーメッド弥央さんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート