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バングラデシュの子どもたちへ、映画を!~現地の仲間とアフレコ編~ বাংলাদেশের প্রতিটি শিশুর জন্য নিজস্ব ভাষায় ডাবিং【突撃!隣の彼女の海外ライフ】

Posted on 2018年10月22日
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ABROADERS読者の皆さま、お久しぶりです。


この5ヶ月間、とある作業に専念していました。それは、日本のアニメ映画の現地語吹き替え版制作です!


大変だったけれど、とても面白かった制作について、今回は書いていきます。


 


 

1.バングラデシュの子供たちに、より豊かな経験を

私が今年から一員となった NPO「World Theater Project」(以下 WTP) の活動で、バングラデシュでも移動映画館を始めています。この団体は、私の大学の先輩がカンボジアから始めたものです。■World Theater Projectリンク(https://worldtheater-pj.net)


バングラに暮らし始めて5年目となった私ですが、自身も最近「ChotoBela works」という名の団体を作りました。チョトベラとは、現地語で「子ども時代」を意味します。


これまでも現地でさまざまな活動をしてきましたが、現在の移動映画館にとどまらず、今後はもっと場を広げて工作や音楽など遊びを取り入れたワークショップやカメラ教室なんかも開催していきたいです。バングラの子どもたちに豊かな経験の場を与えることで、彼らの子ども時代をもっと彩りのあるものにしたいという想いでいっぱいです。


 


 

2.ベンガル語と少数民族語に吹き替え

今WTPには、活動趣旨に共感し、応援してくださる日本のアニメ配給会社さんやクリエイターさん等が徐々に増えて、おかげで本来なら厳しい著作権利等の問題も寛大に取り扱ってくださり、途上国で上映するためのアニメ譲渡や吹き替えの権利をくださっています。


今回は、やなせたかしさんの『ハルのふえ』という作品(やなせさんの遺作)を、トムス・エンタテインメントさんからご提供いただきました。母子の愛情、森と街の暮らしや、夢をもつことについて描かれた素晴らしいお話です。


今回これを、バングラデシュの国語であるベンガル語(写真下)と、少数民族語のチャクマ語(45コミュニティのひとつ。写真上)に吹き替えました。ひとつの国の中にあるニ言語でも、字体がほとんど違うことに気付いてもらえるかと思います。


チャクマ語は、今もチャクマの人々が話す言語ですが、読み書きできる人は希少になってきています。そこであえて題名にチャクマ文字を使うことで、チャクマアニメとして遺ってほしいという願いを込めました。


 


 

3.バングラデシュの悲しい子どもアニメ事情

バングラデシュでアニメ産業はまだ栄えておらず、バリエーションがありませんが、ユニセフが提供する『ミーナ』や、『セサミストリート』、『ドラえもん』はベンガル語になっています(数年前までは、隣国インドのヒンディー語で放送されているのを観ていたバングラの子どもたちが外国語を覚えてしまうと問題視されていた)。他にも『ボス・ベイビー』という米アニメは英語のまま放送されています。
DURONTO TVというアニメチャンネルが1局あるようですが、多くのアニメ制作会社は撤退しているのが現状で、アニメ映画なんてさすがにありません。


アニメに限らずですが、「子どもたちへ向けた」ものが、途上国では極端に少ないように感じます。映画の力を信じてきた者のひとりとして、「現地語訳で」届けるのが私の理想形でした。


 


 

4.現地の仲間とアフレコ!

6月末、バングラではイスラム教の断食月・ラマダーンの終わりでイードという休みを迎えました。イードが過ぎたらいよいよアフレコを始めたい、と私は思っていました。


「バングラタイム」と揶揄される、物事がなかなか進まないバングラデシュ。断食期間中は人々の活動が省エネモードになり、またイラつく人たちもいて、とにかく仕事になりません。イード休みも本来なら3日間程度ですが、休みもたいてい長引くことを、数年間暮らしてきた私は知っています。それでも……! 吹き替えに取りかかれたのは 7月末、やっとのことでした。


しかし、そうした状況への怒り、動揺はこの国では通用しません。開始後スムーズに事が運ぶよう、ラマダーン期間中は全体の台本を、キャストひとりひとりに分かりやすくする作業に地味に励んでいました。


なんせ、声をお願いするのは、プロの声優さんではなく、素人さんたち!


小さな役まで入れると約30のキャラクターが登場するのですが、うまく組み合わせ、チャクマ語版もベンガル語版もそれぞれ、私を含めた14人ずつで行うことに。ベンガル語版ではひとりだけプロがいましたが、その人を含めてみんな私の友人、主に大学生たちです。


もう数人減らすことはできましたが、できるだけこのプロジェクトに携わる現地人を増やしたいとの想いからそうしませんでした。時間がかかっても、上手くなくても、「ふつう」の私たちが子どもたちのためにできる活動があるということ、一緒に成し遂げる経験を、大勢でシェアしないなんてもったいない! 子どもたちに映画を届けること自体もそうですが、それを制作する過程でも大きな幸福を生む、という確信が私の中にはあったからです。


 


 

5.少数民族語・チャクマ語から吹き替えスタート

はじめに、少数民族チャクマ語から吹き替えに取りかかりました。


皆チッタゴン丘陵地帯出身のチャクマ族の友人たちで、首都ダッカに学生や社会人として出てきている人たちです。


チャクマ語版から始めたのは、私にとって近しい存在であることもひとつですが、もうひとつ、実は彼らがあまりお金の話をしないから、というのもあります。彼らの出身の村々では、そこの人たち同士で互いに何かを与え合っている光景をよく目にするからです。


「家族だから」「兄弟姉妹だから」(血の繋がりはなくても)と言って、周りを助けることが当たり前。あまり金銭的な利益に頓着しません。私はチャクマの友人たちのこういった感覚に温かみを感じ、とても心が落ち着くのです。


彼らは、スタジオにお金をかけるのさえもったいないと助言してくれて、家にある道具を使ってやろう、ということになりました。「浮いた費用で、呑もう! ご馳走して!」と言ってくるセンスも私好みです(笑)。最終的に、チャクマ組がこうしてくれたおかげで、後に他でかかる費用の負担が減り、助かりました。


 


家でのダビング作業では、雑音を少なくするためにすべての窓を閉めて、電気(ファンや冷蔵庫)まで止め、汗だくで行いました。
アザーン(イスラム教の一日5回放送されるお祈り)が流れると作業を休憩したこと、
大雨に各種工事、リキシャやヘリコプターが通る音もひっきりなしに邪魔してきたこと、
ちょうどとある学生運動が起きて、吹き替えに声を枯らして来たメンバーがいたこと、
主役(の声)が最後まで決まらず、ふらっと顔を出してくれた親戚の子が良い声の持ち主で、救世主が現る……など、良い思い出がたくさんです。


彼らの民族の母語で、その子どもたちやコミュニティにアニメを届けたい、と皆とてもよく協力してくれました。


 


 

6.国語・ベンガル語は友人のプライベートスタジオで

ベンガル語はバングラデシュの国語です。


少数民族チャクマの友人たちにとっては母語ではないけれど、国語として小学校から学ぶので、ふつうに話すことはできます。しかしベンガル語の吹き替えはやはりベンガル人がいいだろうと考えていました。でも、それまで私にとって少なかったベンガル人の友人を、どうやって10人以上も集めようかと思案しました。


そこで、ダッカ大学の日本語コースが主催するニホン祭(今年2月)に行ったことを思い出しました。そこで見た、日本好きのベンガル人生徒たちによる日本語劇や歌、空手やしりとりなどのパフォーマンスには日本愛が溢れていて、その彼らに吹き替えを頼めば……と思い至ったのです。そして、それが、思った以上の成果を生みました!


なんと彼女たちは、既にある英語→ベンガル語への翻訳版を使うのではなく、日本語の本編から、より忠実なベンガル語版を作ってくれたのです! とてもレベルが高い彼女たちの日本語学習の材料は何だったのか。それも、日本のアニメでした。日本アニメを400以上も観てきたという大学生たち(自称「腐女子」)に助けられ、感謝をしたのと同時に、海外でこんなに愛される日本アニメの存在を、日本人として誇らしく思いました。


 


今回の作業を通じて、これからも一緒に何かをしていきたいと思える、ベンガル人の友人ができました。


 


 

7.日本語って長~い!手こずった問題

アフレコをしていて、両言語どちらでも手こずった問題がありました。


それは、日本語が長い!ということ。


日本語は表現が比喩的だったり、敬語があることもあるのでしょう。それに、そもそも渡されていた英訳が、一瞬にして(字幕として)読める簡潔なもので、それも長さにギャップを生んだ要因かと思います。


例えば、ナレーションで「そして、月日が流れていきました」というのが、現地語だと「ショモイ ジャー」だけ。ナレーションならリップが合わなくても何とかごまかせても、キャラクターのセリフ
「なんという不思議な音色だ!」は「ヒーミデロー」、
「だったら面白いけどね~」が「ヒーアジバール」
「ここが、パルのいる町なのね」は「イヨットパレタイ」と、長さが足りなくて、スクリーン上でキャラクターが声無しに口をパクパク!?とする事態が頻発……!


ゆっくり言ってもどうにもならないものは、みんなで長文にする工夫をしました。


 


また、『ハルのふえ』の主役のひとりにタヌキがいるのですが、バングラデシュにはタヌキがいません。そのため現地語にすることが適わず、チャクマ版では英語の「ラクーン」とし 、ベンガル版では「タヌキ」をそのまま採用しました。「バングラの子どもがひとつ日本語を覚える機会になるね」とアイデアを出したのも、私ではなく現地の仲間たちでした。


他にも、「ワー」といった感嘆詞さえ、オマドゥー!ダルン!バーバッ!と私には聞き慣れない音だったり、「このセリフの後に笑う意味が分からない」「その感情よく知らない……」と、彼らにとって不思議な日本人的感覚があったり、表現も演出も突っ込みどころがあり大変でした。


大人が子どもの声を、また、女の子が男の子のキャラクターを声で演じることにも、彼らは新鮮さを感じたようです。作業を通して生まれたたくさんの気付きは、宝物のようです。私にとっては現地語の語彙も増え、お互い学び合えた、面白く貴重な経験でした。


 


 

8.制作後に思うこと

こうして、寝ても覚めても翻訳、吹き替え、リテイク、そして編集に向き合った期間は、ちゃんとできるか危うくなりながら、一つひとつの障壁をクリアしていく毎日でした。それらは、完成した今では忘れてしまいそうだけれど、ありがたく、大切なことばかりだったと思います。


いくつか、ここに書き残しておきたいなと思うのが、バングラ側で日本から、アニメ映像とME素材等を受け取る最終段階に至った時、70GBの膨大データを私のネット環境ではダウンロードするのが無理、という事態に陥った時、大学時代からお世話になっている先生がそのデータをHDDへ取り込んでくれて、ちょうどロヒンギャキャンプを訪れる予定だったフォトグラファーの友人がバトンのようにそれを受け取り、バングラデシュまで運んでくれたこと。


それから、『ハルのふえ』の前に、学研さんが『ニルスのふしぎな旅』の上映権を、バングラデシュでの活動でも許可してくださったこと(本当に嬉しかったのですが、豚が神様として出てくるお話は、イスラム教国のバングラではタブーだとして断念したという残念な思い出付き)。


 


まだまだエピソードは尽きませんが、最後に、今思うのは、この制作作業を含む移動映画館の活動を、これからももっとやっていきたいという気持ち、です。


制作で携わった友人から、上映側で携わった友人たち。このプロジェクトを結果的に楽しんでくれた現地の学生たち、そして気にかけてくれた大人の方たちもいて、「子どもたち以上!?」と驚くぐらいの皆さんの反響が、とても嬉しかった……。


現地の人たちが、不思議な日本人かもしれない私(のプロジェクト)をつなぎ目に、大きく膨らんで、ひとつのプロジェクトとなった。今後役割分担を進めていくことで、より大きな団体になっていけたらなと、夢も膨らんでいます!


 


次回は、今回巡った移動映画館編をお届けします。


 

経験した日: 2018年10月22日

Ambassadorのプロフィール


NatsumiA

1985年生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリーの課題制作がきっかけでバングラデシュを訪れる。卒業後、映像制作会社の勤務を経て、2014年より単身でバングラデシュに暮らし始める。主な活動地は、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの地域で、少数民族と深く関わり、写真・映像制作を行っている(ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』【国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞 および 青年海外協力隊50周年賞受賞】、写真集『A window of Jumma』【クラウドファンディング】など)。現在は、ロヒンギャ難民キャンプにも活動を広げ、ChotoBela works という現地団体を立ち上げ、バングラデシュの子どもたちの "子ども時代 / チョトベラ" を豊かに彩ることを目標に、移動映画館(World Theater Project バングラデシュ支部代表)、アートクラス、カメラ教室、スポーツデイなどを開く。また、バンドルボン県で、クミ族とムロ族の子どもたちが寄宿するキニティウという学校をサポートしている。

NatsumiAさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート