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バングラデシュにいるロヒンギャ難民の現在と、子どもたちの運動会 রোহিঙ্গা শিশুদের সাথে কিছু আনন্দঘন মুহূর্ত
ロヒンギャ。私が今あらためて説明するほど、知られていないとは思いません(知られていることを願います)。
ロヒンギャは歴史的背景やさまざまな判別基準から民族であるとかないとか諸説ありますが、一般的には現在ミャンマーからバングラデシュへ難民として逃れている境遇の人々のことです。
2018年11月上旬、前回からちょうど一年ぶりに、ロヒンギャ難民キャンプを訪れました。
■過去記事リンク:報道とは別の目線で感じた、私のロヒンギャキャンプ
当時は、ロヒンギャの人たちも命からがら国境を越え逃れてきたばかりでした。背景にある問題が巨大すぎて政治的なことは私には言えませんが、自分がロヒンギャのことを知って、素直に好感をもったことを周囲に伝えようとだけは思い、記事にしました。キャンプ訪問後も、彼らがそこにいる限り、時間はかかってもまた会いに来て、できることをしたいと思っていました。
この一年間、キャンプの環境も、人々の表情も様子は変わり、現地(ベンガル人)の友人は一年越しでキャンプ内に学校を開きました。その友人が「子どもたちのために何かしたいんだけれど……」と相談してきてくれたところ、「それなら!」と私が考えたのが、運動会と移動映画館の開催です。
1.私たちの学校「アマデル パスシャラ / Amader Pathshala」
ちょうど一年前に現地の友人数人と共にキャンプを訪れた頃は、まだロヒンギャの人々が続々と難民となって避難してきていた頃で、食糧や薬の緊急支援を受ける様子、平坦でないボコボコな土地に急ごしらえの家が広がる風景、水道・電気などがままならない状態を目にしました。
そんな厳しい環境でありながらも、決して悪い噂で聞くような(暴力的だとかゾンビのような状態だとか)感じではなくて、知識層のロヒンギャの大人は冷静に状況を話してくれ、子どもたちは来訪者である私たちに近寄ったり離れたりしながら微笑む、という感じでした。
人づてに聞いていた彼らの悪評は何だったんだろうと思えるくらい、私を含めて他の友人たちも一様に、ロヒンギャは愛すべき人々だと思いました。
ただこの一年、何かしたいと思ってもできることもなく歯がゆい想いでいたのですが、友人のひとりがキャンプ内に学校を開校したことで状況が変わりました。バングラデシュのベンガル人の彼はこの一年、国内で出資者を見つけてキャンプ内に小さな学校を開き、ロヒンギャ難民の大人からも教師をふたり、ベンガル人の女性教師をひとり、計3人採用したのです。
学校名は「アマデル パスシャラ」。ベンガル語で「私たちの学校」という意味です。バングラでは英語がカタカナ的に使われベンガル語化してしまっていることも多く、学校も「イスクール」と呼ぶことが多いのですが、あえて旧く「パスシャラ」。すごく良い名前だと思います。ちなみに、写真のブランコは学校の隣の家のもの(お父さん作)です。
2.運動会の会場設営
今、バングラデシュにロヒンギャ難民キャンプはいくつかありますが、どこも棚田のように段々とした丘陵に存在します。キャンプの外に出ることが許されない彼らのための運動会は、キャンプで唯一のだだっ広い場所に竹の柱を8本立てて縄で囲い、その縄に色紙を飾って設営しました。私たちの様子を子どもたちも真似して作業してくれたので、飾り付けもあっという間に終わりました。
これは余談ですが……できあがった会場の全体写真を最後に撮ろうと思っていたのですが、飾り付けは運動会の最中で子どもたちに壊されてしまいました。
この事態、実は私が責任を感じています。というのも、ひとりの女の子が競技応援中に退屈している様子で、私を見つめ「この色紙一枚をはがしたい。それで欲しい」といったしぐさをしてきました。私も、まぁいいだろうとニコっと微笑むと、なんと!!!その子の中で何かが炸裂したのでしょうか。嬉しそうに色紙をビリリーッと一枚はがし、その瞬間を目撃した子どもたちが、連鎖して「私も!」と言わんばかりにはがし出し、結局すべて壊してしまったのです。私が微笑んだせいだ……と、仲間たちには言えず。ロヒンギャの子たちに限らず、バングラで子どもたちと接していると、野性味を常々感じます。こういうシチュエーションになるたび「またしくじった……」と反省します。
3.短距離走
この運動会に出られるのは、アマデル パスシャラに通う子どもたちだけです。「子どもなら誰もが参加できる運動会!」としたほう聞こえが良いかもしれませんが、私たちはそうしませんでした。
これは、読者の皆さんの途上国や難民の子どもたちに対するイメージを覆すことかもしれませんが、こうした境遇にある子どもたちみんなが「学校に行きたい」「学びたい」というテンションなわけではないのです。学校に通う障害がなくとも、毎日きちんと行きたいわけではない子もいるのです。逆に皆勤賞の子もいます。
そのため、この日はここの生徒として一定の意欲表示がある子たちだけの参加としました。あらかじめ何の競技に出場したいか聞いておいて、50人の生徒が最低でも一競技には必ず出られるようにしました。
最初は「短距離走」。男の子はもちろん、女の子のこんなにイキイキする姿はバングラデシュ全土でもレアでしょう。ゴール役として立っていた私は、この笑顔を最前線で見られてとてもラッキーでした!
4.イス取りゲーム
私たち日本人もよく知る「イス取りゲーム」。イスが取れなくても転げて笑う子どもたちに、こちらが癒されました。
この日の競技種目はすべて、日本人にとっても懐かしいようなものばかり。こうした子ども時代の遊びは国境を越えてもどこかで繋がっていて、似ていることを嬉しく感じました。
5.ビスケット・ケラ=パン食い競走
6.玉入れ、ビー玉運びレース、縄跳びに、お弁当!
引き続き、玉入れ(バスケットボールのように、ボールをバケツに狙って投げる)、ビー玉運び(スプーンにビー玉を乗せて運ぶ)、縄跳び(誰が一番長く跳べるか)を行いました。
これらの競技をまとめて1分間の動画にしたのでご覧いただければと思います。
玉入れでは、中には驚くべき集中力で投球する上手い子がいました。こんなふうに得意なことや好きなものに気づき、球技スポーツの世界に進みたくなったりするのではないかと、発掘の瞬間を目にするようでワクワクしました。
ビー玉運びでは、スプーンに乗せたビー玉に全神経を集中するせいで、まるで目を閉じているような表情になった子どもたちの顔が、揃ってゆっくりと進んでいくのが最高に可愛かった!
縄跳びも、跳び方がワンパターンではなく、自分で考えた方法で長く跳び続ける子がいて面白かったです。
こうして、出番の子も出番でない子も、私たちもみんな、色々な競技を共に楽しみました。
7.お待たせ!移動映画館
競技が終わり、私たちはみんなでお弁当を囲みました。学校ではふだんからバナナやルティ(パンのようなもの)といった軽食が出されます。
この日は特別に子どもたちのリクエストに応え、デシルムルギーのトルカリ(自然育ちの鶏肉カレー)。こちらの国では一般的に、鶏肉はレベルが3種あるそうで、その中で一番おいしい鶏を使ったカレーでした。
そして最後に、移動映画館。
ロヒンギャの子たちには、この日、私たちの団体(World Theater Project ※外部リンク)が昨年制作した『フィルとムー』、DigiCon6 ASIA というアニメのアジアコンペティションで優秀作品として選ばれた作品など、あわせて4本のアニメを上映しました。どれも台詞がなく言語の壁がない作品なので、誰でも楽しめます。
移動映画館は、キャンプに視察で訪れる団体等のために会議室として使われている場所で開き、イスだけちょっと豪華です。しかし、私自身の現在の活動力の弱さに比例するように、光の威力の弱い小さな映写機で作り上げる上映環境は、映画館と呼ぶにはまだ遠く、子どもたちをガッカリさせてしまったかも、と肩を落としました。
それなのに上映後、先生が「今日やったことの中で、何が一番楽しかった?」と子どもたちに尋ねると、子どもたちは「TV!!!」と答え、驚きました。TVとは、この映画のことを意味しています。
この一年間WTPの活動をバングラデシュ担当としてやってきて、最も移動映画館の活動の意味を感じたのが、このロヒンギャ難民キャンプでした。
バングラでは今日、国が未発展だからこそ携帯がいちばんの娯楽ツールとして急速に広まっています。一方で「みんなで観る心地良さ」「大きな画面で映像や音を視聴する臨場感」などといった映画の持ち味が置き去りにされていることは、映画館を愛する私には悲しい状況です。ただキャンプでは携帯をもつ大人はまだごくわずかで、移動映画館の醍醐味を感じました。
また、日本である話を聞いたことも関係しています。昔、何の特徴もなかった土地に鉱山発掘の労働者が集ったことで町ができ、映画館を含む娯楽環境が人の密集度や子どもの増加に比例して求められたと。人々が突然暮らし始めた場所に、移動映画館が届くことは理に適っているということを実感しました。
移動映画館の必要性は、国や境遇によって少しずつ違います。そういったことに気付き、確認し続ける一年を過ごしてきました。来年は、その面を極めていけたらと思っています。
8.キャンプ内を歩いて
キャンプ内を歩いていると、「みんな魔法で子どもにされたのかな」という幻想に捉われそうなくらい、子どもが溢れています。もちろん、大人たちも家の中にいるのですが、人口の60%以上が18歳未満の子どもという統計を知った上でも、やはり不思議な風景です。今回一緒に行った仲間のひとり(少数民族チャクマ族の親友のお母さん。ジャーナリスト。旦那さんが学校の教師)が、子どもたちに向けて、何度も強くかけた言葉がありました。「とにかく勉強しなさい!」と。
「あなたたちの前にいる学校の先生という職業、それも勉強したらなれる。
今日観た映画を作るような職業、外国からもって来て観せるような職業にも、勉強したらなれる」
「あなたたちは何人?(子どもたち:ミャンマー!)
今どこにいるの?(子どもたち:バングラデシュ!)
どうして来たの?(子どもたち:船で! ※彼女が聞いたのは Why だけど、子どもたちは How を答えた)」
そういった問いかけと共に、「今はとにかく勉強しなさい! そうしたら道は開けるから!」と投げかけていました。母親として、教育関係者として、女性でも働いている身として、少数民族という同じ境遇として……彼女の抱える背景から出た教えに私まで心が揺さぶられ、本当にその通りだと強く思いました。
ロヒンギャ難民問題はこじれにこじれて解決は困難ですが、子どもたちにそれをただ待たせるだけではダメだ。こうして生きて、成長していくなら、どこにいたって勉強をして、時々この日のように子ども時代を彩るような楽しい経験をしていってほしいと思います。
経験した日: 2018年12月21日
by Nnn