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日本女子プロレス団「PURE-J」がバングラデシュに参上!現地で生のエンタテインメントを見せる国際交流

2019年2月下旬、日本からはるばるバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯へ、女子プロレス団体 「PURE-J」 からレスラーの3選手が遠征に来てくれました!
これまで、旅で来てくれた日本の友人をアテンドしたりすることはありましたが、今回のように大規模なツアー企画を企画・運営するのは初めてのことでした。事前にワクワクするのははもちろん、心配で眠れないこともありましたが……最終的になんとか形になり、たくさんの笑顔が生まれたツアーの様子をお届けします。
1.女子プロ団体「PURE-J」

同じ青森出身のマリ卍は猫とお酒と歌うことが好きな、私の友人です。彼女はプロレスの世界で、私はバングラデシュでの映像分野で、子どもたちや観る人を少しでも幸せにしたいという夢があり、そんなことを色々悩み語らう仲でした。
彼女と出会うまで、私は女子プロレスを観たこともなく、全然違う世界にいたのですが、一時帰国のタイミングで試合を観に行かせてもらったら一瞬にして引き込まれ、歓声をあげるほど魅了されました。そしてレスラーの彼女たちは真のプロフェッショナルだと感じたと同時に、それまでは自分と同じ夢追い人だと思っていたマリ卍が一段高いところにいるように感じ、「私は全然だめだ……」と、自分について本気で考えるきっかけにもなりました。
ある日、マリ卍が、彼女がお世話になっているボスのコマンド・ボリショイさんのことを話してくれました。ボリショイさんは過去に数々のベルトを獲得されていて、直前にも日本チャンピオンになったほどの方! そんなすごい方が、この4月の武道館マッチを以て引退されるそうです。そこで、マリ卍もそんなお師匠の「現役のうちにいろんな場所でプロレスを見てもらいたい!」という夢を打ち明けてくれて、今回のバングラ遠征が実現したのです。
ボリショイさんは幼少期、児童養護施設で暮らしていたそうなのですが、その頃、夕食時のお祈りではいつも「バングラデシュやインドのカルカッタ、カンボジア難民の方々がおいしい食事を食べられますように」と唱えていたのだとか。そんなことからも、とてもご縁を感じました。
日本での試合と試合の合間を縫って、現地滞在はたったの3日という強行スケジュール。短期間で、どうしたら素敵なプログラムができるだろうかと、できる限りの知恵を絞りました。
2.ようこそ、バングラデシュへ
写真左から、今回のツアーアレンジを徹底的に手伝ってくれたチャクマ族の親友ウジャニ、ボリショイさん、私、先に挙げた二選手と共に来てくれた有志の勝愛実ちゃん、マリ卍です。
現在、日本とバングラデシュを結ぶ直行便はまだありません。PURE-J の3人は香港経由のフライトで来てくれました。
また、入国にもビザが要ります。日本人はアライバルビザを現地で無料で取ることができるのですが、人が多かったりと色々手こずったようで、空港で合流できたのは明け方4時過ぎ(夜中0時の到着便)。予約していた空港近くの日本人宿で仮眠を取り、早くも朝8時の国内線でチッタゴンの街へ飛びました。
3.チッタゴン丘陵地帯・ランガマティ県へ
いつもなら首都ダッカから村へ長距離バスで8時間くらいかけて行きますが、今回はチッタゴンの街まで国内線フライトで1時間、そこからバンを借りて2時間半でやって来ました。
外国人入域チェックポストを通過したところで、今回のプログラムの記録係、チャクマ族のカメラマンの男の子とも合流。女子レスラーたちとバイクにふたり乗りして、ランガマティの山岳風景と広大なカプタイ湖の自然を感じながら走ってもらいました。
途中ジュムゴールという休憩小屋で休み、チャクマ族のお家でジュマ料理を昼食にいただきました。レスラーのみんなが「手では食べにくいから、私たち痩せそうだね」と言ったのを聞いて、以前チャクマの友人が「箸で食事をしたら、僕たち痩せちゃうよ」と私に言ったのを思い出して笑いました。
4.空手道場ジムネシアン
バングラデシュでは最近、空手を習う子どもたちが増えている……ように感じます。そのためプログラム1日目には、空手道場で行うことにしていました。この計画に賛同してくれた先生方が、本来この日の道場はお休みだったのに、生徒たちに道着で集るよう呼びかけてくれたのです。
この場を借りて謝りたいのは、こちらの不手際で、レスラーさんたちの待機スペースやウォーミングアップまでちゃんと考慮できなかったこと。それでも、本番で見事に最高のパフォーマンスを見せてくれたことに、心底感動しました。
またサプライズでの子どもたちの空手披露から始まり、移動映画館のようにして、リングでのプロレス本試合をビデオ上映……。一応練習したマイクアナウンスと登場曲で選手たちを呼び、ミニマッチ! かんたんな護身術を教えたり、手話で歌を披露してくれたりして、1日目のプログラムが終わりました。
夜の宴は、少数民族の地酒ジョゴラを友人宅でおもてなしいただきました。
5.寄宿者学校モノゴール
プログラム2日目の朝、私が「マスター」と呼ぶチャクマ族の夫婦がいる行きつけのお茶屋さんで、軽い朝食とチャイを飲み、その後、この地の寄宿者学校モノゴールへ見学に行きました。モノゴールは1150人11民族の子どもたちが通い、また寄宿する大きな学校です。
私にとってはチャクマの父のような存在の校長先生とクラスを回りながら、「今日の夕方、プログラムでレスラーと闘いたいのは誰だ?」と言って回りました(レスラーたちには「負けたらバングラに残れ」とも言っていました 笑)。
夕方、学校には500人以上の子どもたちや近隣の村人、先生、赤ちゃん、お坊さんなど大勢集まり、大興行となりました! 1日目の失敗で学んだことも生かしながら、より良いプログラムにできたと思います。
レスラーが場外乱闘をしかけた時は、観客は恐がりつつも大盛り上がり。また護身術は、希望する数人に壇上で教える形になり、センスがありそうな女の子もいたりして面白かったです。最後に、子どもたちからお返しにと、チャクマ族、マルマ族、トリプラ族のダンスの披露がありました。
こうしたプロフラムを通して、私は、通訳レベルをもっと磨かなくてはと反省しました。
6.130kg/750人ぶんの鶏肉!!
写真は、プログラムが始まる前の夕方の一枚。ふだんから寄宿舎の子どもたちの食事(一日2度)を作る調理係のおじさんたちが、130kgの鶏肉を刻み、カレー作りをしているところです。
そのお肉は、レスラーの皆さんと日本のプロレスサポーター様からの寄付によって買ったものです。たいてい毎食、ごはんとジャガイモのカレーだけで、時々豆スープや卵が付く程度……という食生活の子どもたちにとって、お肉はご馳走なのです。
たくさん大声を出してはしゃぎ、ドキドキしたプログラムの夜(しかも満月!)は、みんなで鶏肉カレーをいただきました。
7.打ち上げ
ツアーのアレンジ、カメラマン、移動映画館、会場設営と片付け、各道具や食事や移動手段の準備等々……写真のメンバー以外にも助けてくれた現地の仲間たちがたくさんいて、素敵なプログラムができました。
こういう催しや繋がりがこれからも続くこと、この地域がエンターテインメントや仕事で賑やかに、面白くなることを願うのでした。
8.2月21日は「国際母語の日」
現地滞在3日目(最終日)は、バングラデシュの祝日でした。「国際母語デー」です。これは言語と文化の多様性、多言語の使用、あらゆる母語の尊重を目的に、1999年にユネスコが制定したものなのですが、それにはバングラデシュの歴史が関係しています。
1952年2月21日、当時パキスタンの一部だったバングラデシュの首都ダッカで、ベンガル語を公用語として認めるよう求めたデモで死者が多く出て、以降バングラデシュの独立運動の重要な出来事として捉えられています。早朝、私たちはチャクマ族の伝統衣装ピノン・ハディ(これはレスラーの3人へ、ボランティメンバーと現地の方々からのプレゼント)を纏い、記念碑に花を添えに行きました。
その後、チッタゴンの街へ下山し、国内線で首都ダッカに戻りました。ダッカではランガマティ県(丘陵地帯)にはないリキシャを体験し、選択肢の少ないバングラ土産を探し、深夜のフライト出発を見送りました。
彼女たちが日本に着いた翌日、この布を纏って試合に出た姿や、Twitterやブログなどで気持ちを伝えてくれたのを見て、心から「こういう役目をバングラデシュで続けていきたい」と思いました。
ありがとう、PURE-J! 日本の素敵な人たちカモン!!
経験した日: 2019年03月20日
Ambassadorのプロフィール
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