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カンボジアで清貧生活 起業のきっかけは「擦り切れたシャツ」

カンボジアより、こんにちは! 今回はSui-Johを立ち上げる前の生活について、書かせてもらいます。
緊張の第一歩
僕がカンボジア、プノンペンへ来たのは2010年10月。
アンコールワットのお膝元・シェムリアップへは何度も訪れていたのですが、プノンペンへは2002年のバックパッカーで訪れた時(当時は発砲音を聞くなど、怖い思い出のほうが多かった)と、カンボジアへの大学院留学を決意し、大学探しのために訪れた時くらいでした。
プノンペンに住み始めたのですが、同じカンボジアなのにシェムリアップとは全く異なる町だと思いました。
シェムリアップはアンコールワットという絶対的な世界遺産があり、町中もその雰囲気が延長線上にあります。しかしプノンペンはどこか空気が張りつめ、緊張感が少し漂う。
当時、プノンペンにあったプールのある公園。コケで水が緑色で驚いた!
でも、町を歩けば、陽気なバイクタクシーやトゥクトゥクのおじちゃんたちに「AJINOMOTO〜!」と声をかけられ、空を見上げれば高いビルは無く、空が青く、陽射しが痛い、その点は同じでした(カンボジアでは「味の素」を使う人が多く、日本人といえばAJINOMOTOなのです)。
冷水シャワーとインスタント麺
最初の2ヶ月間は長期滞在割引でゲストハウスに滞在していました。その後、快適だったゲストハウス生活に後ろ髪を引かれながらも、不安の中、一人暮らしを始めました。
日本では実家暮らしだったため、これが初めての一人暮らしです。
アパートは新築ではあったものの、カンボジア人向けのローカルなタイプ。スタジオタイプと言えば聞こえはいいけれど、その部屋は、日本から来た友人曰く「独居房」。家賃は電気代別で50ドルでした。
初めての一人暮らしをした部屋。工事中の様子
カンボジアでは低層のほうが家賃は高く、上に行くほど家賃が安くなります。どこもエレベーターがないので、みんな階段を上るのを嫌がること、低層階のほうが涼しいから家賃も高いということを、カンボジア人の友人が言っていました。
シャワーとトイレは付いているけれど、シャワーはもちろん冷水のみ。暑いカンボジアだから冷水で問題ないかと思いきや、朝晩は意外に涼しいので、慣れるまでは少しの勇気と思い切りが必要でした。
テレビも冷蔵庫もエアコンも無く、料理はカセットコンロで。野菜も使い切らないとすぐに腐ってしまいます。
この頃食べた物といえばもっぱら、野菜たっぷり&卵を落としたインスタントヌードルでした。
でも今思えば、スーツケースを即席のテーブルにし、ノートパソコンで音楽を流し、扇風機の風を浴びながら食べるインスタントヌードルの味もなかなか悪くないものです。
ネズミの走る教室で
そんな暮らしでしたが、大学院の入学試験にも合格し、28歳にして学生になりました。
当時、僕が調べたプノンペンの大学院の中で、英語で講義を行われていたのは4大学。その中で、最初に訪れた時から親切にしてくれたNorton大学に入学しました。
Norton大学の入学式の様子
Norton大学だけは外国人料金を設定しておらず、学費は1年で800ドル(当時)程度と破格でした。
またカンボジアでは大学院というと、授業が17:30〜21:00頃までか、あるいは土日の終日か、というスケジュールが組まれており、いわゆる夜間大学院が主体です。大多数の学生が昼間に仕事をし、夜か週末に大学や大学院に通っているからだと分かったときは、驚きました。
学生生活ではこのほかにも、ビックリしたことがいくつかあります。
・停電はよくある
・誰も授業中に寝ない。でも仕事の報告書を書いている人はいる
・教科書はコピー屋でコピー
・カンボジア人教授の授業では「ここは英語だと説明が分かりにくいから、クメール語で話します」と、僕を放置する
・ハーフパンツでの通学は禁止
・試験の時、半分くらいの学生がカンニングペーパーを準備しカンニング。監督員もカンペを没収するだけで、処罰しない(今は随分厳しくなったと聞きます)
・教室にネズミが出没し、僕だけ絶叫。クラスメイトは平然とし、「ネズミが怖いの?」と聞かれる
ずらりと並んだ、大学の駐輪場。働きながら通う学生がほとんど
どれも、今となってはとても素敵な思い出です。
そんな生活を送る中で、日本から持参したお気に入りのシャツの襟や袖がプノンペンの砂塵や汗にやられ、変色が激しくなってきていました。まさか、それをクラスメイトに話したことがきっかけで、ローカルのテイラーでシャツを作ることになり、シャツ工房Sui-Joh誕生のきっかけに繋がるとは……。人生とは不思議なものだなと思います。
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