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私がマレーシアに住み続けられる方法、それが「起業」だった

こんにちは!マレーシア在住の木村希です。今回は自己紹介第2弾ということで、「Jkids Malaysia Playground & Kids Party」が生まれた経緯をご紹介します。
ダメな自分を変えたかった
東北の田舎で生まれ育った私の周りには
海外生活はおろか旅行の経験をもつ人もおらず、海外とは全くの無縁。
仙台西高校、山形大学と進学し、将来は漠然と臨床心理士として
秋田で働こうと考えていました。
そんな私が海外を意識するようになったのは大学3年生の時。
臨床心理士になるまでの道のりの長さとかかる金額の高さに
現実を知った私はとっくに心理学への熱意も薄れ、
講義にも出ず朝から晩までアルバイト三昧。
友人作りとサークル立ち上げに一生懸命だった入学当時が嘘のように、
私の周りには友人がいなくなっていました。
お酒の量も増え、だんだん自暴自棄になっていく自分を変えたい。
ずっと田舎の狭いコミュニティの中で暮らしてきた私にとって、
誰も私のことを知らない場所、先入観なく人と人とが関われる場所、
まだ見ぬ日本ではないどこかがとても魅力的に思えたのです。
きっかけはマレーシアでのホテル・インターン
その当時のアルバイトの中でも面白かったのがビジネスホテルのアテンダント。
早速、海外でホスピタリティ職のインターンシップ斡旋をしている会社に登録、
「どこでもいいからアジアのホテルで働きたい」と駆け込みました。
アジアを選んだのは、一度暖かい土地に住んでみたかったからというのと、
一人娘ということもありアメリカとかあまり遠い国は両親が許さなかったのです。
(結局マレーシアもそんなに近くはないのですが… 笑)
▲ホテルインターン中に同僚と。このときチャイニーズ・ニューイヤーだったので民族衣装を着ている
そして登録初日に紹介されたのが、首都クアラルンプールにある5つ星ホテル。
大学に休学届けを出してから1ヶ月後、真新しいパスポートを持って飛んでいました。
着いてから一瞬でマレーシアに恋に落ちた私は
両親と交わした「半年間だけ」という約束も忘れ、
マレーシアでずっと生きていく為の術をすぐに探し始めました。
ホテルの日本人ゲストサービスの仕事はそれには最適で、
たくさんの面白い方々と出逢い、その人脈は今も活きています。
優しい同僚たちのおかげでマレー語もすぐに身につき、
ローカルな生活を送ったことでマレーシアの文化を知ることもできました。
ただ当時ほとんど英語が話せなかった私には、
ホテルの仕事を続けていくことも、外資系企業に入ることも難しいという現実がありました。
だけど日本の就職活動から逃げてきた私にとって、
日系企業で働くことはどうしても魅力に映りませんでした。
要するに、私がマレーシアに住み続けるには、自分で事業をやるしかなかったのです。
子どもが増え続ける新興国に、ビジネスチャンス
そんな時に出逢ったのが、今のビジネスパートナー。
彼は日本や中国、その他の国々でのビジネス経験をもつ、ホテルの常連客でした。
マレーシアでの新ビジネス立ち上げを考えていた彼と出逢ったことで、
彼の構想にあったアジアでのキッズビジネスと、
私が知っていたマレーシアの現状や子どもの数が増え続ける新興国の可能性を話したところ、
「屋内に公園を作ろう」という話に結びついたのです。
当時ショッピングモールの中には子どもの遊び場がほとんど無く、
潜在ニーズも高いというのが私たちの考えでした。
決めてすぐ私は大阪に飛び、2ヶ月の研修で
プレイグラウンドの運営ノウハウを得て、マレーシアに戻りました。
▲店舗内にて、ビジネスパートナーと打ち合わせの様子
はじめはプレイグラウンド事業のみをするつもりだった私たちでしたが、
1号店オープン直前になって、パーティビジネスの可能性を知りました。
それを教えてくれたのは他ならぬお客様で、オープンを数日後に控えたある日、
工事中にひとりのマレー人のおばさんが入ってきて私に尋ねたのです。
「何を作っているの?」。
「子どもが遊べるプレイグラウンドです」と答えると、
「パーティルームはあるの?」と続けてきました。
日本では子どもの誕生日パーティを、
外で、大勢を招いて祝う習慣はありませんよね。
でもイギリス文化の残るマレーシアではよく見られる光景で、
その当時もレストランの一角やマクドナルドのパーティルームなどで
子どものバースデーパーティが開かれているのは私も知っていました。
ただそこには、レストランでの食事だけでは子どもたちはすぐ飽きて走り回り、
大人たちもゆっくりできないという現状がありました。
通りすがりのおばさんにその事実を気づかされ、
慌てて遊具の配置を変えて仕切りを作り、
オープンになんとか間に合わせるようパーティルームをこしらえ、
1号店をオープンしたのです。
結果パーティルームは毎週末予約でいっぱい、
今やパーティ事業の売り上げがJkidsの利益の半分を超えるまでとなっています。
パーティに呼ぶピエロやマジシャン、フードや様々なアクティビティ、
それらも全てお客様からの要望に応えてきた結果。
Jkidsはマレーシアの人々のおかげで、成長してくることができたのです。
簡単ではない海外起業、でもそれ以上のやりがいがある
1号店のオープンが2011年末で、
それから3年半、現在店舗は順調に8店舗まで増え、
3年連続でマレーシア・ベスト・キッズプレイグラウンド賞を
受賞するほど知名度も上がってきました。
▲2014年、母親向け雑誌の読者投票でベストキッズプレイグラウンド賞の受賞時の写真
スタッフ間のいざこざ、政府とのやりとり、今も日々色んなことが起こります。
でもやっぱりキッズビジネスは楽しいし、まだまだ可能性がある。
そして何より私はマレーシアという国が大好きです。
マレーシアでの起業は決して簡単ではありませんが、
明確なビジョンと応援してくれる人の存在があれば、人はいくらでも挑戦し続けられるはず。
私は自分の経験から、そう信じています。
▲マレーシア随一の美しいビーチのあるレダン島でのダイビング。シーズン中は毎月行っています
ライター
木村 希/Nozomi Kimura
1988年、秋田県生まれ。山形大学在学中の2010年に初渡馬。マレーシアの魅力にハマり、2011年12月に子どもの遊び場”Jkids Malaysia Playground & Kids Party”1号店をオープン。現在マレーシア国内で8店舗、キッズ向けフォトスタジオ1店舗を展開する。2014年AERA新年合併増大号にて『アジアで勝つ日本人100人』に選ばれる。3月にはNHK BS1特番『ひうらさとるのアジアで花咲け! なでしこたち』にて番組初のマレーシア編、若手女性経営者として特集される。ダイバーでランナー、近々ゴルファー。夢はマレーシア観光大使になること。
ブログ: http://ameblo.jp/xxnnnxx99xx
Instagram: http://instagram.com/xxnnnxx99xx
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