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タイ・ビジネスの先輩として、経験や知見を伝えたい – アジア・ダイナミック・コミュニケーションズ株式会社 代表取締役 佐藤大輔氏

Posted on 2015年12月08日
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IP電話革命に新ビジネスのアイデアを得た佐藤氏は、タイの政府機関に足しげく通って長期間の説得を経てタイ初のインターナショナル・コールセンター事業第1号の認可を取得した。現在はタイ進出する日系企業向けに自分の知見を伝えるべく、日タイを往復する日々を送っている。

技術革新にアイデアを得た新事業

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事業内容について教えて下さい。

現在当社の事業は大きく分けて、ふたつあります。 ひとつめは、日本でのセミナー・研修事業です。OVTA(オブタ。正式には一般社団法人 海外職業訓練協会)や銀行関係から依頼が来てタイの法務や会計・税務、労務面にまつわるレクチャーをしています。 もうひとつは、「内田クレペリン検査」という日本オリジナルの心理検査をタイをはじめとする東南アジアで広めています。

まずセミナー事業について詳しく教えて下さい。

タイは特に外国人規制が厳しい国です。起業をする人や進出企業はそれとどうやって付き合っていくのが良いか、ということが私のレクチャーのベースにあります。 私は、日本でタイ政府機関のウェブサイトや観光ガイドブックを作成していた頃から数えると約20年、現地でビジネスを始めてからは12年と、タイと深く関わって来ました。そこで培ったタイで事業をする上での知見、特に法務面や会計・税務面、また役所とのやりとりなどについて、これからタイ進出する方々にも役立ててもらいたいとの想いをもって研修・セミナー、コンサルティングをさせていただいています。こういった分野においては、専門家と話すときにはこちら側もある程度知識をつけておかないと太刀打ちできませんし、役所の担当者と話す場合にも自分がリードしていく必要があるので、やはり知識や戦略は必要です。 例えば、タイ人の出資を受けて合弁企業を作り、実質の事業運営は日本企業がするというケースは、タイ進出の形態でとても多いパターンですが、無防備な合弁は後々、大きなトラブルに発展する可能性が高いのです。事業にはほとんど参加していないものの資本上は株主であるタイ人に配当や財産分与するのか、増資して他の株主に参加してもらいたい場合承諾してもらえるのか、この人がもし亡くなったらどうするのか……。これら災いの種を会社設立前の時点で摘み取っておくことで気持ちよくタイでのビジネスに臨める、その指南役として私がいます。 また、海外進出すると多かれ少なかれどこの企業でも生じるのが、日本本社の上層部や管理部門と、現地拠点の現場との間にある温度差や齟齬です。この溝を埋めるのも私の仕事だと思っています。

内田クレペリン検査とはどういうものでしょうか?

これは日本で生み出された心理テスト第一号とも呼べる検査方法で60年以上の歴史があり、官公庁や企業、学校などで年間80万人もが受けているものです。特にJRをはじめとしたすべての鉄道会社では運転士の適性などを見るために利用されていることで有名です。 検査方法は非常にシンプルで、一ケタの足し算さえできれば誰でも受けられます。前後15分の作業の間に5分の休憩を1度挟んで、作業時間のあいだずっと足し算を解き続けるというものですが、1分ごとに行替えを行いますので、終えてから回答用紙を見ると、行ごとの回答スピードに小さくないムラが出ていることが分かります。各行の最後の答えを線で結ぶとこれが受検者一人ひとり異なる曲線を描くんですね。これを作業曲線と呼びますが、その類型によってその人の基本的な業務スピードだけでなく性格や行動特性まで知ることができるのです。設問を読む必要もありませんから言語も問いません。つまり海外展開するのに言語障壁がなく、日本人も外国人も全く同じ条件下で比較することができるという優れた検査方法なのです。 この検査結果は、例えば、上司が部下のタイプを知り、個々にどう接していけばいいかを知るきっかけとなります。「業務や思考のスピードが早く、そのぶん考えがよく変わる人」、「業務スピードは遅いが、文句も言わず几帳面に黙々と仕事をする人」。この両者は一見相容れにくいタイプですが、それぞれの類型を知ることで各人に合わせたマネジメントをすることができるのです。また人材基準の設定や方向性のすり合わせなど、採用や昇進、組織改革の場面でも活躍します。 2006年に運転手適性検査として導入いただいたBTS様(バンコクの高架鉄道会社)では2013年からは全社に拡大いただくなど、これまでタイを中心に地道に実績を重ねて来ましたが、2014年からはタイに限らず、ベトナム、フィリピンでもデータを取り始めたところ、地域や民族によって結果が大きく異なることが分かって来ました。進出国・地域に合わせた人事戦略の基礎資料に使えますので、他国にもどんどん伝搬してきたいと考えています。既にインドネシア、ミャンマーも計画に入っています。

satodaisuke2_1 ▲ BTS社に「内田クレペリン検査」を全社導入するようになったときの写真

佐藤さんのこれまでの経歴について教えて下さい。

私が最初に就職したのは大手流通グループ企業の子会社で、1991年のことでした。既にバブルは崩壊していたもののそのことに気づいている人も少なく、世間にはまだイケイケのムードが漂っていました。私は人事部に配属され、来期も前年と同様、強気の採用をするぞという風向きだったのですが、バブル崩壊が世間に知れ渡ると、たちまち私の仕事も人を採用する業務から、人を解雇・配置転換する業務へと変化しました。その業務の一環として当時まだなかった社内独自の人事情報・予算システムを作る必要性が生じ、若手の私がその作り手として選ばれたのですが、私にとっても全くの初めての作業。マニュアル片手に半年かけてシステムを構築しました。ここで身につけたデータベース・プログラミングの知識が、後々役に立つこととなります。 このような仕事をしながら、タイにはプライベートで何度も足を運んでいました。他にも、アジアや南洋諸島を色々回っていたのですが、住むことが現実的に感じられたのは私にとってタイだけだったんです。何より人々の目の輝きが日本とは違うんですね。言わずもがな日本はどん底の経済状況でしたから、右肩上がりのタイに強い魅力を感じました。「日本にこのままいてもつまらないな」。かといってタイで就職するには語学力が不足していたので、「まずはタイでタイ語を学ぼう」と思い立ち、そう決めた1年後、3年半務めた会社を退職しました。

最初は語学留学を考えていたのですね! その後どのように進んだのですか?

語学学校に入り、最初は2年くらい滞在するつもりで来たのですが、家族の事情により結局半年で帰国することとなってしまいました。ただその半年のあいだ、タイ語の学習だけではなく、タイ全土を回り地方の豊かな文化や歴史・美術などに触れて、ますますタイに魅了されていく自分がいました。余談ですが、2010年から2011年にかけて日本アセアンセンターが実施していた「タイ検定」で2度、日本一を獲得しています。 日本に戻ってからは父親が経営していた広告企画・デザインの会社で営業をすることに。ただ、その道のスペシャリストの中であまり役に立たなかったので、「自分にしか出来ないような仕事がしたい」と思っていた頃、世間ではインターネットが話題になり始めていました。かつて蓄えたデータベースやプログラミングの知識を活かしてウェブサイトを制作してみたところ手応えを感じた私は、紙ベースだった広告の仕事をウェブサイトに移行する仕事を次々に引き受け、ありがたいことに、タイ国政府観光庁や在京タイ王国大使館のホームページ制作のお仕事なども受注して、ここでまたタイとの関係性が復活しました。さらには業務システム開発案件にも関わり、最終的にはSEのようなポジションになっていったんです。 また2000年にはIP電話が新たな技術として流行り始めていました。クライアントに対して東京‐大阪間の内線電話回線をIP電話に切り替えることで大幅なコストカットを実現した私は、「東京‐大阪間で出来るなら、東京‐バンコク間でも出来るのでは?」と思い、日本のコールセンターをまるごとタイに持っていくというアイデアの実現に乗り出したのです

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