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1本の花が導いた ハリウッドからミャンマーで「コーチング」へ
はじめまして。雨季のヤンゴンから寺澤彩です。 今回は自己紹介を兼ねて、今ここミャンマーに至るまでの紆余曲折を書きます。
夢追いかけ、ハリウッドへ
物心ついた時から役者や声優のお仕事に憧れていた私は、短大卒業後、フリーターという枠の中で自由にテーマパークスタッフやMCのお仕事をしていました。25歳の時、ハリウッドで自分を試してみたいと思い、単身渡米しました。

アメリカ、ハリウッド
西ハリウッドに滞在し、映画やCMのお仕事を得るために奮闘していたある日、バスの中でメキシコ移民の親子に出会いました。
花を売って生計を立てている父親のそばに5、6歳の娘さんが座っていました。父親は私と目が合うと、少し微笑んだ後に娘さんに自分が持っていた(売るための)花を1本、私に渡すように促しました。
女の子がゆっくり近づいてきて恥ずかしそうにその花をくれました。女の子が父親の席に戻ると、父親がまた私に向って微笑んでくれました。
これまで、他人事のようだった貧困とその中に生きる親子と私の世界がつながった瞬間でした。
1本の花が教えてくれたこと
私が、あの親子だったのかもしれない。
人は生まれた場所によって、全く違う人生になる。
なぜ世界はこんなに不公平なんだろう。
でも日本に住んでいる人は皆幸せなんだろうか。あの父親のような穏やかな微笑みを他人に向ける人が、どのくらいいるだろう。豊かさとは、幸せとは何なのだろう。
様々な想いが一気に巡ったのを覚えています。
そして、もらった花の代わりに、自分は彼らに何を渡せるんだろう、何ができるんだろうと漠然と考え始め、貧困、紛争、人権問題に関心をもつようになりました。

フィリピンのアテネオデマニラ大学と国連大学で修士コースを修める
自分に何ができるのかを見つけるため、日本に帰国して大学に編入し、国際関係や国際政治を学びました。
卒業後、一般企業で営業職を3年間経験したあと、国際開発や人道支援業界に転職しようと、国連平和大学の修士学コースで国際法と人権について学びました。ミャンマーを初めて訪れたのは2013年6月、国際機関でのインターンシップするためでした。
ミャンマーでのNGO活動と迷い
インターンシップ後NGOに就職し、2014年2月、紛争が終息したばかりのミャンマーのラカイン州にプロジェクトコーディネーターとして赴任しました。
アメリカで、移民の親子から花を受け取り何ができるかを考え始めてから8年。ようやく、支援が必要な人に「何かができる」お仕事に就けました。

NGO職員時代 村の人々と話し合い
しかし、現実は思い描いていた「何かができる」とはほど遠いものでした。
現地スタッフとの衝突や支援の在り方に対する疑問が募り、国連も含めた支援団体が現地の状況を悪化させているのではないか、とも思える現状に、自分が何のために「ここ」に来たのか分からなくなってしまいました。
たどりついた「コーチング」
NGOから逃げるように退職しながらも、自分が本当にしたい支援は何なのかを考え、たどり着いたのが、「人の心の幸せに貢献するような支援」でした。行きついたのが「コーチング」です。
週末、多い時には月2回もミャンマーから東京にあるコーチングスクールに通い、晴れて修了。現在はミャンマー企業で勤務しながら、社内でコーチングを使った人材育成やチームビルディングなどを実践中です。

ミャンマーの学生さんたちにコーチングのボランティア
ボランティアでミャンマーの学生さんにコーチングをしたりもしています。また、人道支援や紛争解決の現場にもコーチングを取り入れていけないかと模索中です。
今後は、ミャンマーで働く日本人駐在員が必ずぶち当たる壁を乗り越えようと奮闘している様子や失敗談をシェアしていきますので、駐在している方、これから駐在する方の励ましになれば幸いです。

友人たちとミャンマーのダウンタウンにて
そして、これから海外に出たい、出ようか悩んでいる方にも、こんなに失敗をしている私がいるので誰でも挑戦すれば海外勤務はできるし、そこから得るものがたくさんあることを伝えられればと思います。
一歩を踏み出したい人の励ましになればこれまた幸いです。
Ambassadorのプロフィール




















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