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木工職人への道に挫折した僕が、フィリピン・セブ島でライターをするまでの道のり
こんにちは。フィリピン・セブ島にある語学学校「NexSeed」でインターンシップをしている佐藤英太です。このたびフィリピンで働く日本人として、アブローダーズに寄稿させてもらうことになりました。
まずは簡単な自己紹介から。
名前:佐藤 英太
職業:Webライター(フリーランス)
どこで・なにをしているのか:フィリピン・セブ島にて、ブログ記事やWeb媒体用のライティング
現在はライターとして海外で働く僕ですが、
大学卒業後、夢だった木工職人を諦めてからは「何をしよう」と常に自分の進路に迷っていました。
今回は、迷いながらも海外で働くことになった経緯を綴らせていただきます。
木工職人を目指していた
僕はものづくりが好きで、特に森づくりに興味がありました。
大学卒業後は「つくる人」として森づくりに貢献しようと、
岐阜県高山市で木工職人を目指して修行することに。
木工修業では、積み木や小さな箱などのクラフト作品をひたすらつくりました。
1日に数百個、時には千や二千もの部材を加工し、それを1日8時間、週6日と、まさに木工漬けの毎日。
加工に失敗をしたらその分売り上げが減るので、「常に本番」という緊張感と戦っていました。
失敗を恐れるあまり、過度にプレッシャーを感じますが、納期は待ったなし。
同時に、僕は人間関係を築くのが苦手でその面でも苦戦をし、
色々な状況が重なった結果、精神的にダウンしてしまいました。
そして、木工職人の修行を6ヶ月で辞めることにしたのです。
修業をやめたものの、アパートの契約が1ヶ月ほど残っていたので、
その間中、次は何をしようか必死に考えました。
なぜ今のような状態になったのか、これから何をするべきか、何をしたいのか……。
木工修業は両親にわがままを言って挑んだものだったので、ちょっとした後ろめたさもありました。
しかし、頑張って再就職をしてもまた同じ状況になるかもしれないと思い、
次は好きなことをやってみようと決めたのです。
ライティングとの出会い
当時、僕は日本を出たことがなく、「一度海外に出てみたい」という憧れがあったので、
お金を貯めるために岐阜県高山市の温泉旅館でリゾートバイトをすることにしました。
ホールスタッフの仕事に就き、お皿を500枚くらい洗ったりしていたのですが、
木工修業時は一日に1000個くらいの部材を加工していたので、すぐに慣れました。
すると、次第にこんな考えが頭のなかをよぎるように。
「海外にいながら仕事ができるなら、海外にいくためのお金を日本で貯めなくてもいいのでは?」
「場所を問わず、技術の向上と収入の増加が同時にでき、かつ今すぐ挑戦できるものは何か」
考えた結果、思いついたのはライティングの仕事。
「ライター募集」と書かれたメディアを貪るように探し、
相性がよさそうな媒体にいくつか応募したところ、
幸運なことにひとつ目の応募が審査を通過。
ライティングのお仕事をいただけるようになりました。
それからは、アルバイトの合間に記事を書くという生活に突入。
朝は6~10時、夜は16~21時の間はアルバイト、
その合間で執筆と初海外へ向けて英語の勉強もしていました。
そして、3ヶ月後にはお金が貯まったので、
「WWOOF」を使ってドイツの田舎に住もうと考えていたのですが、
チケット購入手続きがうまくいかず(支払い済なのにチケットは未発行という状態に陥りました)、
結局、海外行きは先延ばしになってしまいました。
そこで気持ちを切り替えた僕が向かったのは、長野県松本市にある「カンデラゲストハウス」。
ゲストハウスは多くの外国人が宿泊するので、
海外生活のちょっとした練習になると踏んでの試みだったのです。
セブ島行きは、ひょんなきっかけから!
「カンデラゲストハウス」では4ヶ月間働きました。
その頃には、ライティングの仕事をいくつかもらえるようになっていたので、
「ライティングで稼げるようになってから海外に行こう」と作戦変更。
長野県の次は、高知県にある「かつおゲストハウス」に住み込みながら、ライティングの仕事をしていました。
そうして高知での暮らしが1ヶ月経過した頃、セブ島へ行く決定的なできごとが訪れたのです。
それは、NexSeed代表・高原さんとの出会いでした。
彼が「かつおゲストハウス」へ見学に来た際に、
「海外に興味があり、ライティングの仕事をしている」という話を僕がすると、
「うちで記事を書いてくれたら英語の授業とか提供できるかも。どう?」という、まさかの提案!
僕は思いもかけない展開に驚き過ぎて、「え、あ、はい!」と返事にならない返事をした記憶があります。
その後、マーケティング担当の西山さんとSkypeでお話させていただき、
あっという間にセブ島行きが決定しました。
すでに高知で田舎暮らしの拠点ができつつありましたが、
「迷ったら面白そうなほうへ」と思い、海外へ行くことを直感で選んだのです。
初めての海外暮らし
初海外は、「初めて」の連続でした。
空港を出た瞬間に味わった「ムワッ」とした空気は、今でも肌で覚えています。
到着して1週間は、ひとりでタクシーに乗ることすらできず、
最初の頃は「とりあえず生存すること」を目標に過ごしていました。
治安に対しての不安もあり、道行く人すべてを警戒しながら歩いていました。
外出は昼間のみ、さらに外出時は最低限の現金しか持ち歩かないように気を付けていました。
一方、フィリピン人たちはみんな自分の感情に素直で、
働くのが億劫な人(例えば僕がよく行くコンビニ店員など)は本当に面倒臭そうな顔をしていたり、
タクシードライバーも、お客を乗せたくない時は無視して走り去ったりします。
「(僕の行き先は)俺の帰り道じゃないからヤダ」と断られることも(笑)。
ただ、2週間ほど経つと意外にもセブでの暮らしを楽しんでいる自分がいたのも事実。
海外で仕事をするには、まず「生活に慣れること」が必要ということも身をもって実感しました。
そして、今ではフィリピンに滞在してヵ6月目になります。
迷ったら、とにかくどれかを決断する
大学卒業後から今までを振り返ると「迷いと決断」の連続でした。
木工職人の時は、辞めるか否か、辞めた後は何をしていくのか、非常に迷いました。
リゾートバイトをしていた時は、同じような日々に焦りを感じ、
「何か変化をつけないと」と思っていました。
そして、ライティングの仕事では、「締め切り死守」を念頭に執筆をしていましたが、
2、3ヶ月先の暮らしが見えない日々を送るのは正直不安でした。
そんな迷いだらけの僕が一番大切だと思うのは、「迷った時は、とにかくどれかを決断すること」。
木工修行を辞めた当時は、まさかこの先ライターとして海外で働くとは夢にも思っていませんでした。
でも、決断をし続けたから、今の僕がいます。
これからも大いに迷い、決断して、そして前進していきたいと思います!
スナフキンに似ていると言われることがあります
次回からは、セブ島での「暮らし」に焦点を当てていこうと思います!
ライター
佐藤 英太 / Eita Sato
1991年生まれ、新潟県出身の放浪系フリーライター。大学卒業後は木工職人を目指していたが、急遽ライターへ転身。石川・岐阜・長野・新潟・高知と4ヶ月に1度のペースで拠点を変え、現在はフィリピン・セブ島で編集・ライティングを学んでいる。
by Nnn