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海外で働くために、英語は避けて通れない〜33歳で仕事を辞め、ベトナムに飛び込んだ日本人建築家〜07BEACH代表取締役 近森 穣氏
Posted on 2014年12月02日

ベトナム、カンボジア、日本を中心に店舗や住宅リノベーション等を行っている07BEACH代表取締役であり、一級建築士の近森氏。ホーチミンで有名な「Pizza4P's」を始めとする人気店を次々と手がけ、リノベーションした住宅がニューヨーク・タイムズで取り上げられたりと注目を浴びている。
英語ができれば、自分の仕事の幅がもっと広がる

ベトナムに来られたきっかけを教えて下さい。
知人から「ホーチミンでピザ屋を開くので、お店を作りに来て欲しい」と言われたことがきっかけです。依頼を受けた時はちょうど会社を辞めて独立した頃だったので、比較的時間もあって自由に仕事を選べるようになったのでお受けすることにしました。 1軒建ててそのまま日本に帰国するつもりだったのですが、ベトナムで仕事をすることが面白くなってそのまま残り、3年半が経ちます。なぜ、会社を辞めて独立しようと思われたのですか?
30歳を目前にして、「このまま会社勤めを続けて、すでにできることをルーティンワークで行っているだけでいいのだろうか。生活はそれなりに安定しているけれども、一度きりの人生これで良いのだろうか」と考えるようになりました。 そこからすぐに辞めたわけではなく、今の環境のなかでなんとかやりがいを見つけようと社会人の学校に通ったり、本業以外の趣味などを見つけて生活を充実できないか模索しました。ニューヨーク・タイムズに住宅が掲載されるまで

1軒目のお仕事として建てられた「Pizza4P's」ですが、
現在ホーチミンで非常に有名なお店ですよね。
そうですね、このお店をご覧になった方からお仕事のお話をいただくこともあります。私は独立したばかりだったので、次に繋がるように全力で仕事をしようと思い、がむしゃらに作りましたね。海外での初仕事だったと思うのですが、現場を監督する際に躊躇などはありましたか?
基本的に仕事でのやり取りはすべて英語なのですが、私は英語が苦手だったので最初は通訳を通して仕事の指示を出していました。 しかし、日本とまったく環境の違うベトナムでなんとかできたのだから、近隣の東南アジア諸国は環境も似ているのでできるだろう、もっと海外でやってみたいと強く思うように。語学留学が終わった後はベトナムに戻られたのでしょうか?
はい。語学留学中に、ホーチミン在住の知人が1件目のピザ屋さんを気に入ってくれ、自宅のリノベーションを依頼されたのでその仕事に取りかかりました。 海外の日本人コミュニティは非常に密で情報も噂もあっという間に伝わるので、真面目に仕事をしていれば応援して下さる方が結構いらっしゃいます。
デザインをされた住宅がニューヨーク・タイムズに掲載されたという実績をお持ちですが、
どのような流れで掲載に至ったのでしょうか?
基本的に営業をしないというスタイルでここまで来ているのですが、知人の家のリノベーションが「犬と一緒に暮らせる家」というコンセプトで非常に面白いデザインだったので、メディアに投稿してみようと思って住宅の写真を主要な海外デザイン雑誌に送ってみたんです。ベトナムにはいつから拠点を置かれているのでしょうか?
はい。ベトナムに移住したのは2012年の8月からです。 2011年の5月からベトナムでの仕事を始め、ピザ屋さん、住宅リノベーション、日本食レストランと、3つ目の仕事までは出張ベースでこちらで仕事をしていたのですが、仕事が3つ続いたのでベトナムで仕事を継続的にやれるのではないかと思い、移住を決意しました。Ambassadorのプロフィール

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