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汗をかいて手探り カンボジアで考えた「自立への道」
カンボジアより、スースダイ(こんにちは)! オリジナルシャツブランド「Sui-Joh」を経営する浅野 佑介です。
前々回の記事に書いた家族経営のテイラーに出会い、僕は毎日毎日、そのテイラーに通うようになりました。
まだ仕事といった仕事もなかった僕は、朝7時頃に起きて、水シャワーを浴びて寝汗を流し 、家の近くにあるローカル市場で朝食に焼豚がのったご飯(約70円)と練乳がたっぷり混ざったコーヒー(約50円)を食べるのが朝の通例となっており、そして自転車でテイラーに向かうのでした。
テイラーたちとの日課

まだまだクメール語が不自由だった僕は、『指さし会話帳<カンボジア語>』という本を片手に、「当たって砕けろ」的な、無謀ともいえるような会話を続ける日々を過ごしました。テイラーのみんなが知っている英語は「Hello」くらい。
今から考えると、クメール語がままならないどこの骨かも分からない外国人の僕をよく受け入れてくれ、そして僕のクメール語を理解しようと熱心に耳を傾けてくれたな、と心底思います。本当に人に恵まれました。
お昼には僕のぶんも用意してくれて一緒にご飯を食べ、そして床で一緒に昼寝をすることもありました。
炎天下の自転車、苦行で節約!
当時、特に大変だったのは、生地を市場で合計数十メートル買い付けた後、大きなビニール袋を自転車の両ハンドルにぶら下げ、バランスを保ちながら、炎天下のなか漕いだことです。今となれば面白い苦労話なのですが、当時は本当に苦行でした。
バイクタクシーで市場まで往復してしまうと2ドルはかかるので、「僕の朝食1食分のためだ!」と、数ドルでも節約するために自転車でひたすら移動していました。
荷物が多くなると、案の定2往復になります。おかげで夜中にふくらはぎがつって目がさめることもありましたが、結果的に良い運動になり、ふくらはぎには筋肉が随分つきました。
「開発学部」で考えたこと
そして夕方になると、大学院の授業に備え一度家に帰り、シャワーを浴び、大学へ。
僕が、カンボジアで「ビジネスを興したい」と思ったきっかけは、大学院でのある授業がきっかけでした。
開発学部ということもあり、大手NGOや政府関係の機関で働いているクラスメートも多く、みな英語も達者です。それぞれの組織の中でも幹部候補的な存在だと思われました。
でも、ある授業で出された課題についての説明を聞いた時、僕は腑に落ちない想いを抱きました。
「どのような提案書を作ったらドナーが寄付をしたくなるのか、そのためにどのような数字を示すべきなのか。それを考えなさい」と、いった内容を教授が僕たち生徒に説明しました。
そこには国の自立、発展を後押しする装置としての講義ではなく、お金を集めるのが趣旨であるかのような、そんな響きに僕は聞こえました。
そして周りのクラスメートたちも、そういったプロポーサルが当たり前だ、と言わんばかりの表情で淡々と聞いていました。
10年後のこの国のために
日本で我々がもつカンボジアのイメージの多くは、メディアなどを通して与えられた情報を中心に形成されます。地雷や孤児、そして貧困。現実のカンボジアがどうであるかは置き去りにされ、こうして出来上がったイメージが固まり、カンボジアの人々の自立を妨げているのではないか、と無知ながら考えたことを覚えています。
その時僕がたどり着いた結論は、依存ではなく自立を目指すのであれば、ビジネスで顧客に満足を与え、その対価としてお金をいただく、ということをシンプルにやっていく必要があるのではないか、ということでした。
10年後のこの国を見据えた時、今何が必要なのだろう。僕は何をするべきなのか。開発学部ではこんな授業を通して、現実を見つめ、何を目指すべきかを考えました。
ちなみに課題となったその提案書は、散々な結果でした。再提出を求められ、クラスメートに修正を手伝ってもらい、やっとパスできました。
ビジネスは、「対等な個」の取り引き。一人ひとりが自立心を抱いたとき、この国は自立します。ここに暮らし、学ぶ僕だからこそ、できる仕事とは何かを考えたとき、カンボジアの仲間と七転八倒しならビジネスを興すことが、その答えでした。
経験した日: 2017年05月16日
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