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独身の私が30歳で、キャリアを捨て日本を飛び出た理由!最終的に辿り着いた場所とは?

Posted on 2019年03月12日
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はじめまして、香港に来て1ヶ月半の石井 沙織と申します。


※写真は学生時代から続けている少林寺拳法の試合に出た後のものです!


 


私は食品専門商社(問屋)で2年間の内勤の後、5年間の営業の経験を経て退職し、現在は香港に身を置いています。前職の食品商社が嫌いだった……? いえいえ、その逆で大好きです(笑)。


ではなぜ、大好きな会社を退職してまで海外に出たのか。今回はそんな私のヒストリーをお伝えします。


 


 

食品商社でバリバリお仕事!

自分が立ち上げに関わった新店オープンで自分の頑張りを自分で讃えつつ買い物w


繰り返しますが、前職である食品商社のことを、私は愛していました。


私が所属していたチームは毎日が闘い。扱うのが食品なので、表示ひとつのミスで人命にさえ関わります。


365日休みなくメーカーから商品が入り、倉庫を経て、お得意先の店舗に運ばれ、お客様が購入していく。一見簡単な流れではありますが、その裏側には毎日の検品や、格納して出荷する人たちがいて、最終的にお店に並ぶのです。私は消費者であるお客様と直接触れ合う立場ではありませんでしたが、自分が提案した棚割が採用されて商品が陳列されたり、自分が中心となってスーパー開店に携わったり、メーカーの方々と一緒に仕事を進めていったりして、日々充実して過ごしていました。


当時の上司とはほぼ毎日議論し、時には叱られ、また時には酒を酌み交わし……と、誰より恵まれた7年間を過ごして人間的に成長させてもらったと思っています。


 


 

でも、泣く泣く退職決意

チームでの送別会。泣き虫な私ですが、この時は自分の夢のために出ていくため泣きませんでした!


あのまま前職にとどまるという道もありました。しかし、私は退職を選びました。


日本は島国で文化も独特ですが、逆に言えば他の文化と交わることが少なく、自分の慣れ親しんだ環境から出にくい状態にあると思います。大学時代から漠然と「それっていいことなのかな?」と疑問に思っていたこともありましたし、もっと自分が成長するために、同じ場所・環境にとどまり続ける怖さというのも働きながら感じていました。


そう思ったのは、父の影響が大きいように思います。父も私と同じ営業職。私が幼い頃から、早朝に家を出て行き夜中に帰って来るような生活でした。ちなみに彼は日本語しか話せないのに、海外出張して現地の関係者とのお仕事にも挑戦していました。「私も父のようになりたい」と歳を重ねるごとに想いを強くしていきました。


 


今後どうするか、自分の考えを整理したら、日本にいるという選択肢が自然となくなり、退職を決意したというわけです。大好きな職場を自ら捨てる決断は苦しいものでしたが、当時の上司も背中を押してくれました。退職を公表してからは毎日が送別会。連続40日の送別会をしてもらった感謝は、一生忘れません! 


 


 

とりあえず英語!セブ留学へ

セブにてジンベイザメと一緒に泳いだ!


プライベートにおいて計画性のない私ですが、今後最低限の英語は必要だと考え、まずフィリピン・セブ島に留学しました。これが人生初留学! ほぼゼロからの英語学習には不安もありましたが、集中的に勉強して、レベル1から100くらいまでには上がったと思います。


特にスピーキングは入学当時、日本人の中で下から2番目の15点だったにも関わらず、持ち前のおしゃべり好きが功を奏したのか、卒業時には62点と上位にまでいきました!


 


 

続けてバックパッカー

写真がありすぎたので代表してタイでの写真です


セブ留学を終えて、韓国⇒タイ⇒ベトナム・ハノイ⇒ベトナム・ホーチミン⇒マレーシア⇒シンガポール⇒セブ島と、2ヶ月かけてバックパック旅行をしました。これも人生初の経験でした。


旅でそれまでの英語の成果を実感したかったのもありますし、より発展していく東南アジアを自分の目で見てみるのも、長年の夢でした。実際いろいろな方と英語で話をしてまだまだだなと感じましたが……(笑)。


また行く先々すべてに知り合いがいたので、みんなと会うことで自分の原点も振り返ることができ、実りある旅となりました。


 


 

オーストラリアでワーホリ、からの転機

私の高校に来ていた交換留学生と10年以上ぶりの再会。当時の100倍くらい英語で会話できましたw


旅の後は、30歳目の前でのワーホリ、つまりギリホリ(※ギリギリでワーキングホリデーの略)、に出ました。英語圏で生活をしたことがなかったので、オーストラリアに身を置き英語生活に切り替えようと考えました。ブリスベンに行ってイチゴ農園で働くことが決まっていて、その次にどうしようと一時帰国中に考えていたところ、ちょうど香港で物流の営業職の求人を見つけました!


応募要件にある英語力もビジネスレベルには達していないけれど、興味があったのでダメ元で応募してみようと思い、人材エージェントのREERACOEN香港の担当者に連絡しました。


思えば、ここがターニングポイントでした。


REERACOENの担当者とスカイプで話したところ、「弊社に興味はありませんか?」と突然の質問。驚きましたが、海外で営業として挑戦してみたい気持ちが強くて、選考に進むことにしました。オーストラリアに戻ってからもスカイプ面接を数回重ねて、とうとう内定。


スカイプ面接だけで香港移住・転職を決めたことに一抹の不安を感じながらも、「飛び込むしかない!」と腹を決め、ワーホリを早めに切り上げ香港に移住しました。


 


 

いざ、香港移住!

旧正月での獅子舞。すごい人だかりでした!


このようにバタついた日々を経て、気が付いたら香港に移り住んで1ヶ月半が経ちました。


香港の一番好きなところはマルチカルチャーなところです。色んなバックグラウンドをもった人が集まっていて、それだけさまざまな文化を受け入れるだけの余裕のある街という印象です。


また、香港人には日本好きな方も多いのには驚きました。路上で荷物が重くて手こずっていたら日本語で「大丈夫ですか?」と話しかけられて、そんな体験は日本を出てからは初めてのことだったので感動しました。あと、海に面しているので海を見ながらバーで友人と飲むことも楽しみのひとつです!


 


 

最後に

食べるのが好きです


これから、会社に貢献できるように頑張っていきます! 


もし海外就職に悩む方がいたら……私は「まずは飛び込め」と伝えたいです。
どんなに想像を膨らましたところで、現実でどう転じるかはアクションを起こすまで分かりませんし、私の経験から言えば、「最悪の事態」なんて意外とならないものです(笑)。


海外に出てからトラブルもいろいろありましたが、最終的に香港にたどり着き、毎日充実して生活しているので、大丈夫です!


また香港ライフについて、お届けしていきますね♪

経験した日: 2019年02月14日

Ambassadorのプロフィール


Reeracoen香港

香港で活躍されたい方向けの転職支援サービスを運営しています。経験豊富な日本人キャリアアドバイザーが、香港転職をお手伝いします。 ABROADERSを通して、香港で生活すること・働くことの魅力や実情をリアルにお届けしていきます!

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