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現地を理解するために、必要なこと〜フィリピンのスモーキーマウンテン訪問記
こんにちは。2017年2月に開催されるフィリピンスタディーツアーの準備に奮闘中のぺきです。 私は今年の8月に初めてフィリピンを訪れたのですが、今回はその中でも特に印象に残った「パヤタス」というケソン市北東のエリアをご紹介 […]
こんにちは。2017年2月に開催されるフィリピンスタディーツアーの準備に奮闘中のぺきです。
私は今年の8月に初めてフィリピンを訪れたのですが、今回はその中でも特に印象に残った「パヤタス」というケソン市北東のエリアをご紹介します。
約束の地「パヤタス」とは
皆さんは「スモーキーバレー」や「スモーキーマウンテン」という名前を聞いたことはありますか?
これらはフィリピンにあるゴミ山を示しており、次々と運ばれてくるゴミが山のように重なっている場所のこと。捨てられた様々なゴミが化学反応を起こして自然発火した結果、この付近からは常に煙が上がっています。
現在フィリピン最大のゴミ山があるのは、パヤタスB地区のルパン・パンガコというエリア。
ここにはケソン市から出るゴミ約1200トン以上が運び込まれており、1日約520台のトラックが行き来していると言われています。
このゴミ捨て場で活動している「スカベンジンジャー」の数はなんと約2000人! 彼らは換金可能なゴミを売って生計を立てていて、近郊のスラム街で生活を送っているのです。
日本の焼却処理とは異なり、フィリピンでは広場にゴミを積み上げていくだけでゴミ処理作業が終了。広場の面積には限りがあり、現在パヤタスではエリア拡大のため住民の立ち退きが強制的に進められています。
しかしもともとこの地は、別のスラム街から立ち退きさせられた住民のために用意された再定住地。当時は雑草が生い茂りインフラも一切整備されていない「未開の地」だった場所に、ありあわせの資材で小屋を建て、住民たちがゼロからコミュニティーを作りあげていったそうです。
そんな彼らにとってパヤタスはただの「ゴミ捨て場」ではなく、居住を約束された「ルパン・パンガコ」と呼ばれる大事な土地でした。
スタディーツアーで知った「ゴミに殺された子どもたち」
1973年以降ゴミ処理広場として使用されてきたパヤタスに人々が居住するようになったのは、1980年代後半のこと。彼らはスカベンジャーとしてゴミ山に入り、換金可能なゴミを集めて生計を立てるようになっていきました。
そして2000年7月10日、悲惨な事故がパヤタスを襲います。
2週間ほど続いた大雨によってゴミ山地盤が緩み、高さ約30メートルのゴミ山が幅約100メートルにわたって崩落。この事故によって約700人が生き埋めになりました。
更に不幸なことに事故当日は小・中学校が休講だったため、普段なら家に居ない多くの子ども達もゴミに殺されてしまったのです。
私はスタディーツアーで崩落事故の慰霊碑がある広場を訪れました。しかし正直なところ、その場を訪れた時には「ゴミ山崩落事故が起こった現場」という実感が湧いてこなかったのです。
むしろ私は「日本のようにゴミを焼却処理すれば、事故は起こらなかったのに」と日本とフィリピンのゴミ処理方法を比較することばかり考えてしまいました。
帰国後に知った無知の恐ろしさ
パヤタスを離れてからというものの、言葉では言い表すことのできないモヤモヤが自分の中に芽生えていきました。
ゴミ山の崩落現場に訪れただけで、自分は何もパヤタスのことを分かっていないのではないか。崩落事故がもう起きないという保証なんてないのに、どうして自分は他人事のように考えてしまうのだろう。
帰国後私は自分なりにパヤタスやゴミ山の崩落事故について勉強するようになり、ある時パヤタスのゴミ山崩落事故を扱ったドキュメンタリーをYoutubeで見つけました。
映像では崩落事故に巻き込まれた血まみれの子どもが救出される姿や、我が子が見つからず大声で泣き叫ぶ母親の姿が映し出されており、私はその動画を見て初めて「自分が訪れた場所で実際に崩落事故が起こっていた」という実感が湧いてきたのです。
ゴミに殺された子どもたちはどんな夢をもっていたのだろう。どんな想いで犠牲者の方々は亡くなっていったのだろう。
事故現場へ赴いた時には芽生えなかった感情が、自分の中でどんどん大きくなっていくのを感じていました。
そして調べていくうちに、ゴミの焼却処理は高度な技術を要するため先進国でなければ実現が難しいということや、世界ではゴミを焼却処理する国の方が珍しいという事実が発覚。
今思うとパヤタスを訪れた時は自分があまりにも無知だったために、崩落事故を他人事のように考えてしまったのだと思います。
現地での経験を次のステップへ!
何かについてもっと知りたい、詳しく調査したい思った時に実際に現地へ行くというのは、とても良い選択です。ですがただ現地へ赴き、印象や感情で物事を考えるだけでは、理解が深まるとはいえないのかもしれません。
現場に行ったからには実際にそこで何が起こったのか、そしてその原因もしっかり学びつつ正しい情報を発信していく責任があります。
スタディーツアーに参加する前に「参加すれば自分の中で何かが変わるかもしれない」と漠然と期待していた私は、現地に行くこと自体が目的になっていたように思えます。
しかし実際に参加してみたことで、スタディーツアーへの参加は自分にとってゴールではなく、あくまでもスタートだったことを実感しました。
現地で見聞きしたものをエネルギーにして、今後はフィリピンが抱える問題を自分の問題として考えられるようしていきたいです!
by Nnn