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Infopot Inc. 代表 佐藤ひろこ氏が体験した、涙が出るほどの嬉しい出会い~母親が仕事も子育ても無理なく両立できるフィリピン・セブ島での幸せ生活

Posted on 2015年12月01日
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11年前にフィリピン・セブ島に来て、3年経って現地で起業をした佐藤ひろこ氏。現地日本語メディアの先駆者としてメディア事業だけにとどまらず、日系進出企業や海外移住のサポートなども引き受け、セブ島のスペシャリストとして活躍している。

母親が犠牲にならないフィリピン社会

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フリーペーパー発行などの情報業を立ち上げられましたが、佐藤さんひとりで作っていたのですか?

そうですね、今は専門のスタッフを配置して業務にあたっていますが、最初の頃は私ひとりでやっていました。編集・記事執筆・写真撮影・デザイン・ウェブサイト構築、何から何まで私にとっては初めて……。情報誌は3ヶ月くらいかけて創刊号を作りましたが、今思えばひどい出来でしたね。デザインに関しても本を読み、あとは実践あるのみで勉強していましたが、「なんで私のデザインはダサいんだろう?」と頭を悩ませたりしていました(笑)。 並行してスポンサー獲得のための営業もしなくてはなりません。何の実績もコネもない、「私がフィリピンのイメージを変えるんだ」という想いだけを武器に、様々な会社に訪問しました。日本だったら相手にされにくいかもしれませんが、創刊号でフィリピントヨタ自動車さんが広告を出稿してくださるなど、数々の素敵な出会いがありました。 今でも親しくさせていただいている、ドライマンゴー最大手企業の社長さんとの出会いは特に印象的でした。世界中を飛び回られているのに、営業をかけたときはたまたまセブにいらして幸運にもお会いすることができたのですが、数多くの苦労を経験しながら会社を一代で大きくされてきた方なんですね。その方が「今こうして会社が大きく成長できたのは、取引の中で日本人ビジネスマンたちが私に色々教えてくれたおかげ。彼らと一緒に仕事をしていて、騙されたり嫌な想いをしたりしたことは一度もない。今度は私が貢献する番だ」とその場で広告の出稿を決めて下さったのは、涙が出るほど嬉しい出来事でした。

それは感動的なお話ですね!

フィリピンにいて感じるのが、日本に対するイメージの良さです。フィリピン人の皆さんが私を助けて下さるのは、日本人の諸先輩方が長年築いてくださった信頼のおかげなのです。この信頼の貯蓄があるから今、私はここで事業をできているのだと思います。 その恩恵に預かる一方で、今度はその信頼のバトンを私たち世代が子ども世代に繋いでいかなくてはという責任感も感じています。「私たち世代で日本への絶対的なブランド力を絶やしてはならない」と、自分のビジネスのこともより長い時間軸で俯瞰するようになりました。それが先代の先輩方に対する感謝のあらわしだと思っています。

創刊号を出されてからの事業の調子はいかがでしたか?

良かったのは、始めてからわずか1年足らずで、日本人に限らずローカルの人々の間にも情報媒体『セブポット』の一定のブランディングができたことです。紙面も最初は24ページ・発行部数3,000でしたが今では96ページ・1万部にまで拡大しています。Webのほうも、当時はSEO対策をする企業がほとんどなかったので、「セブ」で検索をかけると最初に当社ページがヒットするようになるまで、さほど時間はかかりませんでした。 メジャーになるのこそ早かったものの、財政面は1年半くらいの間ずっと赤字続きでした。自己資金がじりじり減っていく状況に、出るのはため息ばかり。「来月やめよう」そんなことを毎月思いながら諸先輩方に相談すると、皆口を揃えて「セブでも情報業が中心になるときが来る。だから限界まで頑張って」と励ましてくださるので、その希望を頼りに苦しい時期は堪えていました。

その後、事業はどのように推移されてきましたか?

事業を始めて2年くらい経った2008年頃、セブの景気が「上りエスカレーターに乗ったな」と感じる時期に入ったんです。外国人向けの不動産物件の建設やショッピングモールの拡張工事、開店するお店などがみるみるうちに増えて街の様相が一気に変わり、翌年からは日本人在住者も大幅に増加しました。それに伴い不動産広告や、新規のお仕事の相談が当社にも入るようになっていたところ、2011年の震災以降、その流れがより加速しました。 それまでセブに来られる日本人というと、南国での悠々自適な生活を求めて来られる方が多数派でしたが、2011年以降は「セブで起業したい」「海外進出の一拠点としてセブを考えている」という相談が急激に増えて、今も一日何件も新規でのご相談が入る、ありがたい状況です。 それまでは私もどこか南国気分でいるところがありましたが、相談に来られる方々の本気度にこちらも本気で向き合っていく必要性を感じ、2012年には会社を再編しなおし現在の3社体制となりました。

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セブでの生活は快適ですか?

現在私にはふたりの子どもがいますが、無理なく子育てと仕事の二兎を追えるのがフィリピンの良いところです。出産も2回ともこちらでしましたが、手厚い医療サービスに大満足でしたよ。 周囲にはよく「海外で起業、しかも子育てしながらだなんてすごいね」と言っていただきますが、フィリピンの女性たちは子どもを産んでも仕事するのが当たり前なので、私も気負うところなく両立できます。今は私もお手伝いさんを雇っていますが、出産前は特に必要性を感じなかったので雇っていませんでした。でもフィリピンはワークシェアという考えが基本なので、「なんで人を雇わないの?」という質問をよくされましたね。 ここでは、男女関係なく稼げる人が外に出て働き、家事代行などの新たな雇用を生み出し、仕事を周りにシェアしていくことが良いことだという考えがあります。日本では子育て中でさえ「お手伝いさんを雇うなんて育児放棄だ」などと、さも人に頼ることが悪いことかのような意識が根底にありますが、そんなものフィリピンには皆無です。なぜフィリピンが世界で最も社会女性進出の進んだ国なのか……それは日本とは意識が根本から違うのです。 非常に恵まれた環境の中で、私は自分がしたい仕事と子育てを両立させてもらっています。富裕層だけでなく普通のお母さんたちが「母親であっても、仕事や自分の時間を諦めなくていい」環境であるフィリピンには、私個人としてもどんどん移住をお勧めしたいところです。

今後の事業の展望についてお聞かせ下さい。

過去8年間の事業を通じて、当社にはセブにおける様々な業種の皆さんと関わってきた歴史があります。今は情報媒体としてセブの「入り口的存在」の当社ですが、情報業で培った強みを活かして今後はより「人と人を繋ぐ」方向にフォーカスしていきたいと思っているんです。 情報を発信するだけではなく、私たちが介することで人と人との良い巡り合いを多く生み出し、ゆくゆくは日本とセブの懸け橋として両者の繋がりを強めていくために貢献したい。そうすることでセブの、ますますの発展に寄与していけたらいいですね。

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