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50歳を目前にして気付いた、人生の教訓 – 特定非営利活動法人ジャパンハート代表 吉岡秀人氏
Posted on 2015年04月21日
ミャンマー、ラオス、カンボジアなど発展途上国での医療活動に20年以上携わり幼い子どもたちの命を救ってきた、特定非営利活動法人ジャパンハート 代表の医師・吉岡秀人氏。近年では小児がんと闘う子どもを応援する「すまいるプロジェクト」や日本国内でも僻地医療や震災支援などにも取り組んでいる。
理性の正しい使い方
大きな苦労を買ってまで、なぜこの活動に身を捧げられるのでしょうか?
大変な苦労をしていると周りには思われがちですが、日本にいようが海外にいようがどこにいたって苦労はしますよ。誰もが背負う苦労を、自分の人生なりに経験しただけです。ましてや何事も、一生懸命やればやるほど試練はふりかかる。私の人生にも数々の苦労はありましたが、それは本質的な話ではありません。 貧しい子どもたちを救うのも、人助けをしたいだとか崇高な気持ちでやっているのではなく、結局は自分のためにやっているのです。人助けがしたいと言いながら、活動の中で文句を言いだす人もいます。私が思うに、そこには勘違いが発生している。本当は「人に認められたい」「ほめられたい」という欲望があるのに、それを「人の為だ」などとごまかしているから不満が募るし疲弊するのです。 「人の為」は長続きしません。自分がしたいことだから苦労を引き受けられるし、長く続けられる。背負う苦労は結局、自分のものなのです。私はこのことに早い段階で自覚したので、それほどギャップは感じませんでした。苦労を引き受ける、と……
ただ、そんな私でも今まで苦労を避けていたことに気がつきまして。苦労を引き受ける覚悟はできていたけれど、苦労はできることならしたくない、避けて通りたいものでした。 それが些細なきっかけではあるのですが、以前ジャパンハートのインターン生が、私と『海賊とよばれた男』(百田尚樹 著)の主人公が似ていると思ったから興味を持ってインターンに来たという話をしてくれて。それはぜひ読まなくてはと手にとったのですがいざ読んでみると、その主人公に自分は「完全に負けている」と思ったことが発端です。 彼と自分の差は一体何か。そうだ、自分には苦労を引き受ける覚悟がまだまだ足りていなかったのだ……という考えに至ったんです。自分なりに覚悟はしていたつもりでしたが、それでも結論、苦労は避けたいものでした。他人とやりとりする中では策を弄することもできますよ。ただ自分自身を騙すことだけはできません。自分に対しては中央突破しかない。苦労を避けるのではなく自ら迎え撃っていこう、私はもっと攻めていけるんだ、と考えが大きく変わりました。 自分が戦っているのは他人ではなく、結局未来の自分でしかありません。「未来の自分」は現在の自分より強く能力も高い。そのような強い自分に対して、現在の自分を守りたい、お金や地位が欲しいという欲をいちいち出していたら、即座に背中を斬られるでしょう。背中の傷は武士の恥です。今の自分より強い相手と戦うことは怖いけれど、全力で立ち向かうしかないのです。 このように考えを変えて以降、決断のスピードが格段に上がりました。すると、人生がものすごい速度で回転し始めたのです。ミャンマーの活動に参加してくれた人に話を聞くと、参加を考えてから実際に来るまで大抵2年かかっているようです。行きたいと考えてから実行を2年先延ばしにすれば、2年も今日と同じ境遇を生きなければなりません。最終的に現地に来ているならば、もっと早く決断して実行してもいいと思います。 スピードを速めることでの怖さはもちろんありますよ。自動車で今まで40kmで走っていたのがいきなり100kmで走るようになったら怖いでしょう。でも本物の自動車と違って人生はそれで死ぬことはありませんし、やり直しだってできるのですから。 決断までの無駄な時間を短縮することで、人生はより濃密なものになる。なんで50歳も目の前にして今頃こんな大事なことに気づいてしまったのだろう。もっといけたはずなのに!15年でも10年でも早くこのことに気づいていたら、今頃自分はどんな世界に生きているのだろう!?と本気で思います。この記事を読んでいる若いみなさんは、今からでも決して遅くはありません。
ただ、大きな物事ほど決断をためらう人は多いと思います。
何か決断をするときのブレーキとして理性を使いがちですが、本来、理性はそういう意味で使われるものではないはずです。 理性は左脳によるもので、知識を司る脳です。これは自分以外の人々、つまり他人の経験をベースにして自分に取り入れられたものです。一方で「この人と結婚したい」「このビジネスはやったほうがいい」というような衝動的な直感は、単なる勘でも第六感でもなく全脳の声だと私は思っています。全脳の声は、物も言わぬ幼い頃からその人が見聞きしたり経験したりしたことで蓄積された、いわば人生全てをかけて弾き出した答えです。 理性は直感の声を実現するための方法を考えるものとして使われるべきだと思います。例えば「あの山に登りたい」という純粋な渇望があったとして、「絶対行かなくてはならない」とまずは決めるのです。そこから、どうしたら登頂できるのか、何が今の自分に足りないのか、知恵を結集して方法に考えを巡らすのが正しい理性の使い方です。できない理由をああだこうだ並べ立てるものではありません。 確かに全脳の声が正しいかどうかなんて分かりませんよ。ただ私の経験上言えるのは、直感を信じて行動した方が人間ははるかに幸せになれるし、出した答えがそのときの自分が出せる最善の声ではあるはず、ということです。Ambassadorのプロフィール





















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