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フィリピン・ピナツボ火山の復興支援〜私を奮い立たせた、現地の声〜
こんにちは!ライターのぺきです。
私は昨年8月に開催されたスタディーツアーで、フィリピン中部ルソン地方に位置するパンパンガ州を訪れました。
こちらの州には、かつて大噴火を起こしたピナツボ火山が位置しています。
今回は私が現地で経験した、忘れられないエピソードをご紹介します。
ピナツボ火山の噴火

皆さんは1991年に起きた雲仙普賢岳の大噴火をご存知でしょうか?
44名の尊い命が犠牲となったこの大規模災害は、国内でも大々的に報道されたため、覚えている方も多いと思います。
実は同じ年に、フィリピンのパンパンガ州にあるピナツボ火山も、大規模な噴火を起こしていました。
20世紀最大の被害をもたらしたといわれている、ピナツボ火山の噴火。
この時に発生したエネルギーは東日本大震災と同等レベルとも報告されており、死者数640万人、影響人数は104万人にも上ったのだとか。
噴火後山のふもとに堆積した噴出物は、台風や豪雨の度に川へ溢れだし、何度も人家や農地をのみこんでいきました。驚くことに、この被害は災害から約10年が経過した2000年まで続いたそうです。
元々はルソン島の一大農業地帯だったパンパンガ州ですが、この噴火によって10万ヘクタールの土地が70億立方メートルもの火山灰・土石流に覆われ、農業を諦めざるを得ない住人が多く発生してしまいました。
「復興から取り残された地域」とは?

噴火後は、特に被害の大きかったパッシグポートレロ川沿いの地域に、土石流の流入を防ぐための「メガダイク」という大堤防が建設されました。
しかしこれによって復興が進んだのは、堤防の外側の地域のみ。何の手立ても施されなかった堤防の内側には、どんどん土石流が堆積していきました。
その結果内側のエリアは復興から取り残され、「耕作不能の棄てられた地域」へと姿を変えてしまったのです。この辺りには、被災後16年間も小学校が再建されなかった町もあると聞いています。
ゴミ処理場で働くご夫婦へのインタビュー

私はスタディーツアーを通じて、大堤防の内側に位置する自治体運営の「MRF」と呼ばれるゴミ処理場を訪れました。
当初私が不思議に思ったのは「16年間も小学校が再建されなかった地域に、なぜわざわざゴミ処理場を作ったのだろうか」ということ。
土地も荒れ果て、もはや人もあまり住んでいない大堤防の内側にわざわざMRFが建設されたのには、理由がありました。というのも、近隣住民からの苦情を最小限に抑え、周囲へ及ぼす悪影響を軽減するためだったそうです。
そんなゴミ処理場には、自治体から公務員として雇われたゴミの仕分け人以外にも、非正規にゴミを集め換金可能なものを売って暮らす人々が働いていました。
私は非正規に働き始めたばかりのご夫婦からお話を伺ったのですが、ゴミで埋め尽くされた広場にはハエが飛び回り、鼻がもげるような腐敗臭が立ち込めていたのを今でも覚えています。

正直、5分間滞在するだけでも気が狂いそうになるほどの劣悪な環境。
そんな場所で1日中働くご夫婦に何を聞けばよいのか分からなくなってしまった私は、やっとの思いで「一番大変なことは何ですか?」と質問しました。
すると旦那さんが悲しげなまなざしで答えたのは、「全てだよ」というたった一言。
帰り際私たちが旦那さんに握手を求めた際、奥さんからは「日本人は自分たちと握手しない方が良いよ。私たちはゴミの中で生活していて汚いから」と告げられてしまいました。
私を含め、そこにいた誰もが彼らのことを蔑んだり、見下したりすることはなかったと思います。しかし、彼らからすると「お金持ちの日本人が自分たちの生活を見物しに来た」と感じたに違いないですし、私もその時どのように答えたらよかったのか、未だに分からずにいます。
大切なのは「考え続ける」こと

スタディーツアーに参加してから約半年が経とうとしていますが、現地でご夫婦にどのような言葉をかけるべきだったのか、そしてどのように振舞えばよかったのか、私は未だに分かっていません。
もしかしたらどんなに考えても、永遠に答えが出ない可能性もあります。
ですが私の目標は、今後もあのご夫婦やMRFでの出来事について考え続けていくこと。
それはきっと「現地を見てきた私が考え続けることで、問題の解決に繋がるかもしれない」と、心のどこかで願っているからだと思います。
これからもより一層理解を深めるため、現地に足を運び、勉強を進めていく予定です!
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by Nnn