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セブの街づくりを追求―なぜ「途上国の人たちは心が豊か」と言われるのか
こんにちは、ななみです。今回はスラムの街づくりから学んだコミュニティの作り方について話します。 その前に、私の過去の話を少しさせてください。
きっかけは、フィリピンの墓地で見つけた日本人のお墓
私は大学時代国際地域学科という、全国でもふたつしかない学部に所属していました。
いわゆる「街づくり」を学ぶ学部です。
街づくりと一言で言っても、経済や環境、教育など関わってくる分野は様々。
その中でも関心が強かった、スラムの街づくり開発という分野に私は焦点をあてていました。
学部のフィールドワークの一環として、フィリピン・セブ島の墓地がスラム化した地域―バランガイ・ロレガに行ったのですが、墓石の上に家を建設し、死人と共存する住民たちを目にしました。
第二次世界大戦が終戦してから都市化が進んだことで、人口流入し、お墓にも人が住むようになっていたのです。
経済成長していく中、都市開発で建設された高層ビルの裏には、貧困が蔓延しています。
ですが、そこに暮らしている人々の生命力の強さと明るさは計り知れませんでした。
そんな中で見つけたのは、なんと日本人のお墓。
まさかセブ島の小さな町に、日本人のお墓があるとは想像もしていませんでしたが、調べてみると、第二次世界大戦よりも前にフィリピンに渡航しビジネスをしていた、金ヶ江清太郎さんという人物の娘さんのお墓でした。

墓地に3階建ての住宅を建設
区画整理のため、そのお墓が将来壊されるとのことで、帰国後もチームを結成して遺族探しやロレガを研究していく過程で、私はどんどん研究にのめりこんでいきました。
ロレガの地でGawad KalingaというNGO団体が住民にトレーニングを行い、住民自身で住宅を建設していくという開発プロジェクトでは、シャベルや金槌を使用して自分たちの手で墓石を壊し、その上に3階建ての集合住宅が建設した時には、彼らの「変わろう」という強い意志を形で見ることができました。
60世帯が住める住宅ですが、どうやったらコミュニティが良くなるか、毎月自主的に会議を行い、人との関係性を築いている地域のあり方は、私たち日本人が学ぶべきものだなと感じています。

「誰も後ろにおいていかない」という精神
どうしてこんなことが可能なのか。人との関係性が希薄化している日本では考えにくい事例です。
それも、「Bayanihan」という「共助」の意味をもつ行動指針がこのコミュニティに存在するからだと思います。
Byanihanの精神のもと、「Wallang Iwanan -= No one left behind.」を掲げ、毎週末に清掃活動やワークショップなどの催しものを住民全員で開催します。
共助を通して、「認められている」という自身の存在意義を感じ、コミュニティに愛着をもつ。
そうすることにより、自然と主体性が生まれ個の集団がコミュニティに変化することを目指しているのです。
みんなで作っていくという意識があるコミュニティが、第3の場として人々のセーフティネットになっている素晴らしい事例を私は目の当たりにしました。

もちろん、良いことばかり起きるわけではありません。
人と人との距離が近いからこそ、仲たがいもありますし、退去する人もいます。
ですが、血筋の繋がっていない人を家族と感じ、ここが自分の居場所と感じているのは事実です。
私は人種すら違いますが、このコミュニティに行くと、「おかえり」と出迎えてくれる人たちがいて、「ただいま」と言えるこの場が、いつもフィリピンに足を運ぶひとつの理由になっています。
途上国の人が「心が豊か」と言われるのは、貧しいが故に多くの選択肢を知らないからという訳ではないかもしれません。
誰かが困っていたら、みんなでそれを助けることが当たり前。
相手に対して愛をもって接しよう、という、生きる上で大切なことを知っているからこそ、いつも美しい笑顔をしているのではないかと私は思います。
ライター
小林 ななみ/Nanami Kobayashi
東京生まれ、山形育ち。大学で国際地域学を専攻し、スラムの町づくりについて研究する。半年間フィリピン・セブ島のWAKU WORK ENGLISHでのインターンを経て、現在は日系人材会社にて修行中。好きなものは、アジアとデザインとワクワクするもの。
Ambassadorのプロフィール




















by Nnn