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世界で最も幸せな国「フィジー」に住み、働くことにした理由
筆者中央左手前、紫のタイパンツ
初めまして! フィジーで働き始めて丸2年、くぼけんです。
フィジーがどんな国か、皆さんのイメージはいかがですか?
僕がフィジーに来る前にフィジーのイメージを聞かれたら、迷わず「キレイな海」「リゾートホテル」「ヤシの木」と答えたでしょう。
この記事を書きながら、ネットで「フィジー」と画像検索してみたところ、空をバックにフィジー・ウォーターのボトルを掲げている144番目の写真まで、海が入った画像(地図を含む)しか出てきませんでした。
一方、2年間住んで僕が撮った写真全1500枚を見てみると、海が含まれる写真はたったの1割!
やはり実際に住んでみると、イメージとは違った風景が広がっています。
実は、フィジーは2011年、2014年と「世界で最も幸せな国」に選ばれています。
そこで働き、住むというのはどういうことなのか。
これから皆さんに、フィジーのリアルをお届けしていきます。
家の近くの道ばたにて
今回は、僕がフィジーに来ることになった経緯をお話しします。
初めの一歩は、高校生の時
始まりは10年前、オーストラリアのタスマニア州へ1年間の留学をした時に遡ります。
「海外」というキーワードにもピンとこなかった当時、親の後押しとさまざまな偶然の出会いをきっかけに、締め切り直前に留学を決めたことが、僕にとって全ての始まりとなりました。
留学中、地域の若者が集まるキャンプに参加
世界青年の船で舞い込んだご縁
帰国後、学生ボランティアとして関わっていた留学団体で、内閣府が主催する「世界青年の船」事業のことを知りました。
13ヶ国の青年300人と共に航海に出て、意見を交わし合う40日間(期間等は参加年度によって異なる)は、とても魅力的で、何が何でも参加したいと意気込んで迎えた大学2年の冬、ついに参加を果たします。
第22回世界青年の船集合写真
そして大学4年の冬、再度あの船に乗る機会がやってきました。2度目はスタッフとして関わる機会をいただき、再び船に乗り込みます。
そこで、フィジーにある語学学校のマネージャーと出会うことに。
船上での彼の在り方にとても良いインスピレーションをうけ、「こういう人と一緒に働くこと」が僕の新たな夢になりました。
その後は既に就活を終え、内定をいただいていた旭化成株式会社に入社。東京で電子部品の営業を経験します。
入社して2年経った頃、船で出会った彼が、自身の片腕を募集しているという情報をキャッチしました。
前職では素敵な上司や先輩にも恵まれ、東京での生活にも慣れてきた頃でしたが、世界青年の船で感じた言いようの無い「ご縁センサー」が振り切れて反応する感覚が、僕を突き動かしました。
事実上の日付変更線が通る島、フィジー共和国タベウニ島にて
誰と、どんなふうに働くか
というわけで、当時の僕はフィジーをキーワードにしてここへやって来た訳ではありませんでした。
僕にとっては「どこで」働くかよりも、「誰と」「どんなふうに」働くかが重要であったわけです。
本当に、人生は何が起こるかわかりません。そこが面白い、という方も多いのではないでしょうか。
「イマココ(今ここ)」を生き、自分の中のご縁センサーが反応した時、その機会に飛び乗れるフットワークを養っておくことが大事だと心から思います。
それを深いところで教えてくれたのも、「イマココの生き方」の先生であり、共に日々を送るフィジー人たちでした。
by Nnn