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インドネシアで全力投球した、20代の経験から学んだこと〜桐原 龍さん
20代という若さで、日本発祥のクレープ店MOMI&TOY'S (モミアンドトイズ)のインドネシア事業部長として働かれた桐原龍さん。アジア各国の店舗立ち上げを経て、現在新たに取り組まれているビジネスについてお話を伺いました。桐原さんが経営者としての経験を積んだことで、得られた視点とは?(取材:2017年)
ビジネスは、感情だけでは成り立たない
▶前回のインタビュー記事はこちら!
【前編】20代で自分を思い切り成長させるための舞台が、アジアだった〜MOMI&TOY’Sインドネシア事業部長 桐原龍さん
【後編】インドネシアに日本のクレープを届けたい〜MOMI&TOY’Sインドネシア事業部長 桐原龍さん
― 以前お話を伺った際は、クレープ事業のフランチャイズ化を今後は進めると仰っていました。
桐原:はい。実際にフランチャイズ化をして5店舗までオープンしたのですが、実はそのうちの3店舗と、私が店長として運営していた日本からの直営店も閉店しました。
2015年の12月までの売上は上り調子だったのですが、その後の採算が合わず、断念することに。結果的にフランチャイズが2店舗残り、私は会社が新たに立ち上げた「最強濃厚らーめん ばり馬」という店舗のマネジメントを担当しています。
店舗が減ることが悲しいというよりも、信頼関係を築いてきたフランチャイズのオーナーさんたちに申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。出来る限りのことをしてサポートさせていただいたのですが、なかなか売上が上がらなくて。
私はどちらかと言うと情に厚く、感情移入してしまうタイプなのですが、ビジネスとしてやる際は、お互いのメリットとデメリットをしっかりと見て、良い関係性を築くためにも情ではなく、契約やルールを設けることが大事だと思いました。
フランチャイズを導入する時に、最初は良いことばかりオーナーに伝えてしまった経験があります。でも、あえてデメリットの部分も伝えることの重要性も、今ならわかります。ある程度割り切ることで、スムーズに物事が進むこともあるのかもしれません。非常に学びの大きな出来事でした。
いちスタッフという視点から、経営者という視点へ
― クレープ屋はなぜ閉店されてしまったのでしょうか?
桐原:色々な理由があるのですが、家賃が高すぎて採算が合わなかったことが大きな理由です。日本ではクレープ屋さんというと、ワゴンや小さな店舗経営が多いと思うのですが、ジャカルタの高級ショッピングモールでレストランのような形態で展開しました。
これで売上を上げるには10年くらい早かったですね。というのも、ジャカルタでは道端の屋台で安いクレープが食べれるので、ショッピングモールで高いクレープを食べる習慣がなかったのです。
クレープのクオリティや接客には自信があったのですが、良いものを提供したとしても、時代の流れに合わなければ意味がありません。どういったものが現地で受け入れられるのかを知る、良い経験になりました。
そして2016年の3月から、現在マネジメントしているラーメン屋を手伝って欲しいとオーナーに言われ、シンガポールで1ヶ月研修後、4月から移籍して働き始めました。
― こちらで働かれて変わった部分はありますか?
桐原:20代前半でこちらに来た時は、もっと楽観的で現実をあまり見ていない部分がありましたが、今は100名の従業員のマネージャーという立場なので、自分の一挙手一投足の影響を深く考えるようになりました。
以前であれば上司が責任を持ってくれましたが、今は全て自分で持たなければなりません。いちスタッフという視点から、経営者という視点に変化したのは大きいですね。
また、台湾、インドネシア、マカオ、カンボジアで事業立ち上げを経験したり、経験豊かな経営陣と直接やり取りができたことも良かったです。20代は海外での経験をすることに投資してきたので、30代はそれを活かした働き方をしたいと思っています。
「人として誠実であること」が、なによりも大事
― 今後の予定について教えてください。
桐原:実は、日本に帰国します。これまで7年間ずっと海外で働いてきてわかったのは、飲食にしろ商品にしろ、日本のブランドを現地に持ってきたいオーナーは大勢いるけれども、それを現地ユーザーに広げ、同時に店舗を増やすために現地向けのフランチャイズ化をするノウハウを持っている人材が圧倒的に足りないということ。
私はそれができる体験を積んできたので、日本に帰国してその部分に関するサービス作りやコンサルティングなどができたらと考えています。
― 桐原さんが考える、働く上で大事なこととは何だと思いますか?
桐原:「人として誠実であること」です。人として誤った道に進まない強さでもありますね。私は絶対に嘘をつかないと決めていて、仕事でもできることはできる、できないことはできないと正直に伝えるようにしています。
それを積み重ねることが信頼につながっていくと思います。ここまで色んなことを任せてくれたオーナーと、いつも応援してくれる妻がいることで、今の私がいます。周りで支えてくれる人たちへの感謝の気持ちも忘れずに持っていたいですね。
20代の自分の過ごし方に反省はありますが、後悔はありません。やりたいことに全力で取り組み、新たな経験をたくさん積むことができました。いつか、福島で事業を立ち上げた尊敬する経営者である祖父のようになれるよう、引き続き目の前のチャンスを掴み続けていきたいと思います。
【プロフィール】
桐原 龍/Ryo Kirihara
早稲田大学出身。在学中は音楽活動に専念。大学卒業後は、日本にて飲食ベンチャーへ就職し、半年後台湾へ出向。台湾にて2年勤務の後、同ブランドのインドネシアの現地企業へ転籍。妻は台湾人。
経験した日: 2019年05月21日
by Nnn