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たった25日間で、カンボジアに日本食レストランをオープンせよ!?ミッション達成までの道のり

スポーツ一筋人生から、カンボジアでゼロからチャレンジ!! スポーツ一筋だった私が、ひょんなことからご縁をいただいて始まった海外生活。
現地で社長と合流して今後の流れについて打ち合わせをしていく中で、自分たちでビジネスを立ち上げることがより現実的になり、心のどこかで浮かれていた気持ちが一気に引き締まったのを今でも覚えています。
“自分たちは遊びに来ているのではなく、会社の一世一代のカンボジア進出を任されている”
“絶対に失敗できない”
“自分にはこのプロジェクトを絶対に成功させる責任がある”
“経験が無いとか、初めてだから分からないなど言い訳はしない”
と、思いを新たにしました。
日本で「1ヶ月で本社直営の居酒屋への、お客様の呼び込みで歴代最高の記録を作ろう!」というミッションを達成した経験があったので、今回もできない理由を探して言い訳をするのではなく、どうやったら上手くいくかを考えて行動すれば、プロジェクトの内容は違えど、きっと成功できる!という自信がありました。
会社のビックプロジェクトである海外進出を、新卒の私に任せてくれた社長のためにも、このプロジェクトは必ず成功させる!と心に誓って、カンボジアでゼロからのチャレンジに挑むことになったのです。
ミッションは、「たった25日間で日本食屋さんをオープン」!?
社長との打ち合わせで決まったことは、2013年5月28日に日本食レストランをOPENさせること。
しかし、私たちに用意された場所は、汚れの溜まった廃墟のような建物でした。
「こんな廃墟を25日後には日本食屋さんとしてOPENさせる!? 」
正直、完成像がこれっぽっちも想像できませんでした。
お店の名前、内装、メニュー、物品購入……。
想像するだけでもやることはたくさんあるのに考え出したらもっとあると思うと、不思議ととてもワクワクしてきました。
課題を一つひとつクリアしていく25日間が幕を開けたのです。
どこに何が売っているかわからない!お店の物品購入は、まるで宝探し!!
立ち上げメンバーの3人で役割分担した結果、私が担当したのは小物類の物品購入。
まずは日本食屋として最低限何が必要なのかをリストアップし、それを元に探していくことになりました。
しかし、当時情報を全く持っていなかった私たちは、どこに何が売っているのか全く分かりません。
マーケットの場所も分からず、地図なんて無いと勝手に思い込んでいた私は、ひたすら自転車を走らせ、見つけた先々のマーケットで何がいくらで売っているのかを探索していったのです。
それはまるで、冒険をしながら宝探しでもしているかのようでした。
あっち方面にあるマーケットには◯◯が、こっち方面には△△がいくらで売っていたというものを全て自分の足で調べ、全てがどこにいくらで売っているかを把握できたところで、それらを一気に購入していったのです。
メニューから仕込み、調理まですべて自分たちで!!
レストランといえば、メニューは基本中の基本!
メンバーの3人で日本食屋にはどんなメニューがあるべきかを話し合い、インターネットで日本の居酒屋などを参考にしながら、メニュー構成を考えていきました。
仕入れの関係で作ることができないものも多かったのですが、飲食店経営のプロであるリーダーを中心としたチームワークで、魅力的なメニューづくりができました。
メニューの中のひとつに餃子を入れていたのですが、これらを全て仕込むのも自分たちでした。
初めは上手く作ることができず、YOUTUBEを見ながら餃子の作り方を研究したり、3人で餃子を夜明け近くまで仕込んだりしました。
チームの絆が強まったと感じる、今となっても忘れられない思い出です。
ミッション達成のために、必要だったもの
課題を少しずつクリアしていった私たちでしたが、大きなミッションが待ち受けていました。
それは、お店の雰囲気に直結する内装の改装。
そのまま使える状態ではなかったため、現地の内装業者に工事を依頼することにしたのですが、ここで初めてカンボジアと日本の違いを大きく見せつけられることに。
それは、「納期通りにいかないことが当たり前」「こちらの期待通りに作ってもらうことは簡単ではない」ということでした。
たとえば、間接照明を一直線状に設置したいという依頼をし、いざ終わった後に確認をすると一直線状になっておらず、ガタガタになっていたのです。
それを業者に確認すると「何がいけないの?明るさは十分あるから大丈夫だよ!」という返答が。
このとき、私のなかである気付きがありました。
「確かに、きれいに揃ってはいないものの、一直線状には設置できていて明るさも十分ある。
きれいに並べることが当たり前だと思っているのは私たちだけで、カンボジア人にとって”明るく”するという目的を果たしているので、特に問題がない」ということでした。
決して、彼らの仕事が雑なわけではなく、日本とカンボジアの「きれいに揃える」という感覚が必ずしも同じではないのです。
日本での常識が世界に出てそのまま通用するとは限りません。
大切なことは、自分の常識が全世界共通だと決めつけず、相手の常識を理解しようと努め、自分の常識との妥協点をうまく見つけることなのだと思いました。
この時私は、カンボジアでビジネスをさせていただく以上、カンボジアのルールに従うことは最低限のマナーだと思い、まず自分の中の常識を疑うことを心がけるようになりました。
さまざまなカルチャーショックを毎日のように経験したことで、思うようにいかないことが当たり前と思えるようになり、相手を受け入れる器も大きくなった気がします。
そして、お店の方も【忍者 NINJA ~Japanese Dining & Bar~】という名前に決まり、いよいよOPENを迎えることに!!
ということで、次回はOPEN日についてご紹介させて頂きたいと思います!
ライター
荻原 雅斗/Masato Ogiwara
1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。 東北高校→中京大学→カンボジア
ソフトテニスを12年間続け、日本一を三度獲得し、
Facebook:Masato Ogiwara
Twitter:masato_ogiwara
FEILD OF ZERO BLOG:https://fieldofzero.wordpress.com/field-of-zero
ThmeyThmeyJAPAN:http://www.
Ambassadorのプロフィール

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