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所持金たったの5万円!? 新卒男子いざカンボジアへ!衝撃のプノンペン生活の幕開け!!
第1回目の記事掲載時(三度のソフトテニス日本一を経験した新卒男子が、内定辞退してカンボジアで働く理由。)には、老若男女関係なく、たくさんの方からメッセージや叱咤激励のお言葉をいただき、ありがとうございました。この度、私が高校時代の親友から受けたこのバトンが、ひとりでも多くの方に受け継がれ、次に繋がっていければと思い、2度目の執筆をさせていただきました。今回お伝えするのは、カンボジアに到着した2013年5月3日の出来事です。
冬物のスーツを着て、灼熱のプノンペンに到着
カンボジアのプノンペン空港に初めて降り立ったときの私の服装は、卒業前に新調した冬物のスーツでした。
日本がまだ若干涼しく、カンボジアには仕事で来たということもあって選んだ格好だったのですが、一年中暑いカンボジアには適しておらず、空港に着いた瞬間汗だくに。
そこで私が目の当たりにしたものは、生まれて初めて聞くクメール語、日本語の無い看板、そしてカンボジアの人々。
私を取り巻くすべてが人生初めてのものばかりでした。
これほどまでに環境が変化した経験は今までになかったので、この時はまるで夢でも見ているかのような不思議な気分でした。
カンボジアの第一印象は、みんな明るく陽気で、すごく活発な雰囲気の国という印象で、働いている人たちもとても楽しそうで、ここが本当に発展途上国と言われる場所なのかとさえ思いました。
イミグレーションでは、言葉がほとんど聞き取れず、英語なのかクメール語なのかすら、はっきりと区別できませんでしたが、なんとか外へ出ることができました。
やりとりが全く分からないものの無事外へ出られたことや、入国書類のsignature(自分の署名をする場所)にJapaneseと書いてしまったことも、今となっては良い思い出です。
そんなこんなで、私のプノンペンライフが幕を開けました。
できないなら、できるまで練習する
空港から一歩出ると、外は真夏日和。
そこにはたくさんのタクシードライバーたちが待ち構え、カモを見つけたかのごとく声をかけてきます。
1か月間客引きをやっていた私たちは、そんな客引きじゃお客さんは捕まえられないよ!と言いながらも、結局その客引きをしていたドライバーに捕まり、オフィスへと向かうのでした。
ここで不安だったのは、「クメール語も英語も話せない私たちが、無事目的地へ着けるのか!?」ということでした。
一足先にカンボジア入りをしていた立ち上げのリーダーからの情報を元に、知っている単語をかき集めて行き先を伝え、なんとか無事オフィスに到着することができました。
誰でも必要に駆られて「なんとかしよう」という気持ちが湧くと、行動を起こし、目の前の問題を解決できる方法を探すものなのだと実感しました。
この時私は、できないから話さないという姿勢では一生相手に自分の思いを伝えられないと思い、できないことでもまずはやってみようと決めました。
英語に限らず、今できないことは今まで積み上げてこなかった結果であって、決して恥ずかしいことではないと思っています。
できない自分を認めて、これからどうするかが大事で、ずっとできないままにしておくことの方が、よっぽど恥ずかしいことなのではないでしょうか。
できないなら、できるようになるまで努力をする。なにをやっても平均以下だった私にとって、それはソフトテニスの練習と同じでした。
たかがタクシーでの出来事ですが、私にとって大きな一歩となりました。
まずは、住める環境を確保!
私たちは3階建ての建物を1棟借りし、1階を店舗、2階をオフィス、3階を住居として使うことにしました。
長い間空き物件だったこともあり、建物は汚れがひどく、とても住める状態ではなく、まるで廃墟のようでした。
私の部屋は、鍵がかかっていた部屋を蹴破って入ったこの部屋に住むことに。

▶Before

▶After
部屋を確保した後は、すぐに生活用品の買い出しのために近くのマーケットへ。
カンボジアで初めて買ったものはサンダルでした。
価格は3ドル(約300円)と日本では考えられないほど安く、こんなにも物価が違うのかと最初は戸惑いましたが、日本から500ドル(約5万円)だけを握りしめてカンボジアにやってきた私にとっては、非常に有り難いことでした。そして、マーケットで残りの必要な生活用品を調達して家へと戻りました。
カンボジア初日のディナーで、生きていることを実感
身の周りの準備をしていると、あっという間に夜ごはんの時間に。
カンボジアに来て右も左も分からない私たちは、まともなごはんを食べられる場所があるのかすら知りませんでした。
実際のところ、お店はたくさんありましたが、当時の私たちにはそのような情報を聞ける友だちがいなかったため、もともとオフィスにあった七輪を使い、隣のお店から炭をいただき、お肉を焼いて食べることにしました。
極端ではありますが、まるで自給自足をしているかのようでした。
写真で見るとただのBBQかもしれませんが、この時言葉では言い表せない「生きている感」を味わいました。
幸いなことに、日本では衣食住に恵まれてきた私は食に困った経験がなかったので、食の大切さにも気付かせてくれたカンボジア初日でもあったのです。
初めて来たカンボジアにそのまま移住をし、ライフラインの整っていない状態からのスタートにわくわくしながら初日を終えるのでした。
以上が、カンボジア到着初日、2013年5月3日の出来事でした。
次回は、日本食屋を2013年5月28日にOPENするまでの日々をご紹介したいと思います。
ライター
荻原 雅斗/Masato Ogiwara
1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。 東北高校→中京大学→カンボジア
ソフトテニスを12年間続け、日本一を三度獲得し、
Facebook:Masato Ogiwara
Twitter:masato_ogiwara
FEILD OF ZERO BLOG:https://fieldofzero.wordpress.com/field-of-zero
ThmeyThmeyJAPAN:http://www.
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