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三度のソフトテニス日本一を経験した新卒男子が、内定辞退してカンボジアで働く理由。

Posted on 2015年01月05日
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はじめまして。カンボジア・プノンペンにて素敵なご縁をいただき、執筆させていただくことになりました、社会人2年目の荻原雅斗(おぎわらまさと)です。この度、私が海外でチャレンジして来たことをお伝えし、海外へチャレンジしたいと思っている人の背中を押すことができればと思い、筆を執らせていただきました。

 

私は大学時代、体育会のソフトテニス部に所属し、ほとんどの時間をテニスコートで過ごしました。

そんなスポーツ一筋の人生を歩んできた私がカンボジアで働くことになったのは、高校時代の親友からの一本の電話がきっかけでした。

1、 新卒の春、内定辞退を決意

大学4年の春に内定をいただいた私は、その会社に就職することを疑うことなく、ラストシーズンへ向け日々競技に取り組んでいました。競技人生最後の試合が終わるころ、高校時代の親友から突然の連絡が。

「カンボジア来いよ! 」

もともとクレイジーだった親友ですが、今はカンボジアでコンサルティングの会社で働いており、とにかく面白いから来いと言われたのです。

この時点では、カンボジアについて発展途上国で地雷のイメージがあったので、働くことはおろか行くことすら考えられませんでした。 しかし、そんな彼から毎週のように連絡が来るうちに、次第に興味がわいてきて、彼の話を真剣に聞くようになりました。

そして、私は「苦労は買ってでもしたい。日本で働くことも大変だけれど、海外へ行けば文化も生活も違うため、もっと苦労できるのではないか。どんなに失敗して落ち込んだとしても、死ぬこと以外全部かすり傷」と考え、親友から連絡をもらってたった2ヶ月でカンボジア行きを決心し、内定を辞退することを決めました。

この時はまだカンボジアでの仕事は決まっていなかったのに、です。

 

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2、できない理由はたくさんあるから、できる理由を探していこう

大学4年の3月初旬、親友の会社の求人に応募をし、面接していただくことに。

人生の半分以上をテニスコートで過ごして来た私にとって、面接でアピールできることは多くありませんでした。

「やる気と体力だけはあります!」

と伝えると、じゃあ一緒に頑張っていこう!カンボジアのGDPを上げにいこうぜ!という情熱的な社長のもとカンボジアへ行くことになったのです。

今までろくに勉強したことが無く、英語を話せない私がカンボジアで事業を興していくことは、全く想像できないことでした。

しかし、誰でも新しいことを始めるときは分からないもの

「やってもいないことを出来ないと決めつけてしまうのだけはやめよう。できない理由を見つけるのは簡単で、新しい世界でチャレンジするための心の準備として、できる理由を作ることにフォーカスしていこう」。そう決めました。

3、カンボジア行きのミッション達成。いざカンボジアへ!!!

私はカンボジア支社の立ち上げメンバー2名のうちのひとりとして、カンボジアへ行くことになっていましたが、出発前に日本で成功体験を積んでからカンボジアへ行こうということになりました。

ここで社長から与えられたミッションが、 「本社直営の居酒屋への、お客様の呼び込みで歴代最高の記録を作ろう!」というもの。ここで結果を出せなければ、カンボジア行きの話は先延ばしにするとのことでした。

もうひとりも私も初めての呼び込みで、全くイメージができませんでしたが、とにかくそのゴールに向けて日々取り組んでいこうと決心しました。

目標達成のため、1か月必死にひたすら外でお客様への呼び込みをする日々。この期間は私の人生を大きく変える激動の1ヶ月間でした。

結果、月末にカンボジア行きのミッションをぎりぎり達成することができました。あの難しいと思っていた目標に対し本気で取り組み、達成したときの感動と喜びは今でも忘れられません。

私はこの成功体験から、想像できないことでもいざやり始めて腹を括って取り組めば、できないことなんてないのだと学びました。そして、同時に自分の可能性が大きく広がったとも感じました。

大切なのは「できる」「できない」ではなく、「やる」か「やらないか」なのだ、と実感しました。

目標を達成して社長から「よくやった!おめでとう!3日後に出発しよう!」と言われました。
出発日が告げられたのが達成後だったこともあり、3日間でカンボジア行きの準備を全て行ない、あっという間に出発当日を迎えました。

あれは2013年5月3日のことでした。日本からほとんど出たことの無かった私が遂にカンボジアへ発つ日が来ました。初めての海外生活の始まりでしたが、不安は全くなく、想像もできない海外生活に期待でとてもわくわくしていました。

自分のことを誰も知らない世界、言葉すら通じない世界への挑戦、地雷というイメージの国、全てが新鮮でした。

ここから私の第2の人生が幕を開けました。

次回はカンボジアへ着いて、0から始まったチャレンジについてご紹介させて頂きたいと思います!

ライター

1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。 東北高校→中京大学→カンボジア 

ソフトテニスを12年間続け、日本一を三度獲得し、現在はカンボジアソフトテニスナショナルチームの専属コーチとして活動中。大学卒業前に日本での内定を断り、大学卒業後カンボジアへ渡り日本食屋とBARを経営。現在はカンボジア・プノンペンでGlowbal Grow Cambodiaの代表を務め、カンボジア報道ニュースサイトThmeyThmeyJAPANの運営・企画・営業を行なっている。目標はカンボジアと日本を結ぶ架け橋のような存在になり、双方間の交流・向上につながるビジネス、活動を行っていきたいと考えている。

Facebook:Masato Ogiwara

Twitter:masato_ogiwara

FEILD OF ZERO BLOG:https://fieldofzero.wordpress.com/field-of-zero

ThmeyThmeyJAPAN:http://www.thmeythmeyjapan.com 

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Ambassadorのプロフィール


荻原雅斗

1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。 東北高校→中京大学→カンボジア ソフトテニスを12年間続け、日本一を三度獲得し、現在はカンボジアソフトテニスナショナルチームのヘッドコーチとして活動中。大学卒業前に日本での内定を断り、大学卒業後カンボジアへ渡り日本食屋とBARを経営。現在はカンボジア・プノンペンでGlobal Grow Cambodiaの代表を務め、カンボジアの貧しい層に、より良い教育環境を作るため、日本の教育システムをカンボジアにも反映できるように働きかけている。また、教育(スポーツ・音楽・文化交流)という軸でさまざまなプロジェクトの構築を行っている。

荻原雅斗さんが書いたノート


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