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映画を配達!バングラデシュで「未来の青写真」計画 আমার লক্ষ্য শিশুদের কাছে চলচ্চিত্রকে তুলে ধরা【突撃!隣の彼女の海外ライフ】

Posted on 2018年02月27日
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私が大学生だった頃にニ度ドキュメンタリーを撮りに来て、「もう一作、ここで!」と思い舞い戻ったバングラデシュ。そして三度目にここへ来た時に巡り遭い、以来大好きになってしまったもの……それは、たった一作にはまとめきれない根深い問題を抱えた、チッタゴン丘陵地帯と少数民族ジュマの人々でした。


紛争の歴史、民族と宗教、政治や軍事問題などが複雑に絡み合い、土地・人権問題や襲撃・レイプ事件も起き続けている土地。そのせいで、どこよりも物事が進めづらい地域ですが、喜び、悲しみ、ここで起こることすべてを共有していきたいという私の夢はふくらむばかりです。


 


「この場所で、長い時間をかけて……」そう思った時、心の中で思い起こした、かつての夢がありました。それは「映画」に触れる機会の少ない地域や子どもたちに、それを届ける活動をすることです。


 


バングラデシュには、貧しくて不便な生活を強いられながらも自国に強い誇りをもつ人もいれば、自己中心的な考えの大富豪ファミリー、海外カブれ、汚職にまみれた人々もいます。それに、自国に対して冷めた目線のジュマ(少数民族)の人々、マジョリティーのベンガル人でも路上や田舎で貧しく暮らす子どもたち、理不尽な境遇に置かれた女性など……「ここでは自由な未来を描けない」と、悟るような生き方をしてる人たちもいます。その環境は容易に変えられるものではありませんが、光を見つめ、未来に少しでも希望を思い浮かべてほしいなと思うのです。


そんな想いで始めるのが、彼・彼女らのために贈る「映画を配達すること」「未来の青写真」計画。


 


 

初めて任意団体を創ります!

この3年半のあいだ、映像作家としての活動、カメラ教室のカメラ募集、クラウドファンディング、写真集制作、現地での衝突事件や自然災害時に緊急支援の呼びかけなど、どれも個人名義でやってきました。個人でやるほうが身軽でいいと思うこともあれば、力不足に思う悔しさもどこかにありました。何か力になりたいと言ってくださる方々にも、分かりづらい在り方で……そこで、今回のアクションを起こしました。


団体名は、以前から、「未来の青写真」という言葉や意味合いが好きなので、それに因んだ名前にできないかと、今 試行錯誤中です。写真は私のベンガル語辞書で、右部分はぼろぼろになって取れてしまった表紙です。今はどうか分かりませんが、この国に初めて来た頃は、この辞書(しかも英語からベンガル語)とあと1~2冊参考書が存在した程度でした。


素敵な映画を観たり制作したりすることで、子どもたちや周りの多くの人たちに、未来を描く元気な気持ちやヒントを与えられる場にしたい!という願いを込めて……バングラデシュを拠点にする活動だから、この国の言語で、より良い名前を見付けたいと思います。


 


▼私がバングラデシュの映画事情について書いた過去記事
 映画館が危険な場所なんて嫌だ!バングラデシュの映画事情(リンク)


 


さて、ここまでが最新の話で、ここから少し遡って、ある出会いの話をしたいと思います。
昨年、私自身が青写真を描いた瞬間から、周りに素敵な人たちが現れました。


 


 

昨夏、ダッカでのすきやき会

昨年の夏、素敵なお呼ばれがありました。会に私を誘ってくれた日本人女性は青年海外協力隊での任期満了後にバングラへ戻り、現地で働きベンガル人の男性と結婚された方。その時点では、彼女とも以前お仕事で一度メールを交わしただけの間柄でした。


生卵を食すことは珍しく、またお肉を薄切りにする習慣がないバングラにあって、すきやきは、日本かタイから輸入できた時にだけ食べられるありがたいお料理です。そんな「上を向いて歩こう」という名の会の主催者は、ミドリムシビスケットとGENKIプログラムで有名な「ユーグレナ」の事業開発部長さんでした。


ユーグレナさんは、日本でドキュメンタリー制作の会社にいた頃からとても興味がある会社でした。このすきやき会でついにご縁があり、チッタゴン丘陵地帯や少数民族にまつわる私の話を熱心に聞いてくださり、また私が日藝出身であることを伝えると、なんと聞き覚えのある名を口にされました。


「教来石 さおり」さん。映画学科の先輩で、カンボジアで移動映画館の活動をされている方です。以前からお名前は何度も聞いたことがあり、私の志す活動にリンクしました。


 


 

念願のミーティング!先輩にお会いして

初対面を予定していた日の朝に私が急性胃腸炎で入院するなどのトラブルもありましたが、今年1月中旬に日本で、その3人でお会いすることができました。左が先輩の教来石さん、真ん中がユーグレナの佐竹さん、そして右が私です。


 


 

『ゆめの はいたつにん』という本

実際にお会いする前、私は先輩の著書『ゆめの はいたつにん』を読んでいました。この一冊の前半は、どこか自分のことを読むような気持ちで、後半は先輩の背中が希望を見せてくれるような……。そんなシンクロ感と先輩の偉大さを感じて嬉しさがこみ上げました。


先輩は私のABROADERS記事も読んでくださっていました。そんな私たちは、出会ってすぐ「バングラの子どもたちに映画を届けよう」という話でまとまりました。


 


 

World Theater Project

これから私が共に活動するのは、先輩とその仲間たちの「World Theater Project」(WTP)という団体です。彼らの活動拠点はカンボジアでしたが、カンボジア以外の子どもたちにも夢を届けたい、と先輩たちが願いの範囲を広げようと考えていた頃に、私たちは巡り遭いました。


ここでは書き尽くせないWTPの活動はHPをご覧ください。
World Theater Project(外部リンク)


先輩たちの存在の頼もしさや参考にできる前例はあれど、バングラではまたバングラならではの問題が発生することは想像がつきます。宗教、民族、言葉の異なりや相容れない対立、そして外国人入域制限などが、今後の障壁となって私たちのプロジェクトに立ちはだかることでしょう。


一例として、日本でのミーティング中(先輩とはウマが合いまくって、すっかり仲良しに)、こんな一幕がありました。ある素敵な一作品をバングラへさっそくもって行けるという話になったのですが、その物語にはブタが神様 として登場するのだとか。それは、イスラム教徒90%のイスラム教国バングラデシュではあり得ない……。作品の権利がいただけるという、何よりありがたいことなのに、そうした理由で上映は断念という、とても惜しい話です。


 


 

『映画の妖精 フィルとムー(The Cinema FILL and MOO)』

バングラで上映できることとなった最初の一作「フィルとムー」(上映時間8分)は、クレイアニメで作られた、とても可愛く、かつ凝ったお話です。


最初ひとりぼっちだった主人公フィルが、突然現れた陽気なムーと、スクリーンの中に飛び込み、映画の歴史を辿るような旅に出るお話です。ふたりの冒険が楽しそうで、観ていてとても嬉しい気持ちになるのですが、最後にちょっと寂しさもこみあげてきます。「寂しい…でも、大丈夫。きっと!」そんな希望を感じます。


その後も観る度、何度も胸があつくなる作品です。そこには、ストーリーの背景にある制作者の意図や、愛情、記憶、温もりあるメッセージが宿っていました。私が歓声をあげて笑ったシーンでは、「なっちゃん、カンボジアの子どもたちと同じところで笑った」と微笑まれました。バングラデシュで上映する日が(心配もあるけれど)、楽しみです。


 


 

見たいのは、こんな風に上を向く「45」の笑顔

懐かしい、初心を思い返す写真。これは日芸映画学科の友人が、チッタゴン丘陵地帯に来て写してくれた少数民族の子どもたちです。


今年1月もマルマ民族の女の子ふたりが多数派民族の軍人によりレイプされ、まさにこれを書いている今週、療養中の病院から無断で連れ去られてしまうという事件が起き、その言い争いの最中にあります。


あまりの理不尽な状況に、以前ロヒンギャ問題で縮小された仏教徒の祭の記事(過去記事リンク)を書く時もさんざん悩んだように、今、本当に映画プロジェクトのことを書いてもいいのかと悩む自分もいます。でも、自分をごまかすような記事は書きたくないし、かといってダイレクトに事件を記事にすることもできないのが現在の私の立場です。心の中で、事件に対して「またか……」と落胆、憤りを感じつつも、直接介入は「この先、この場所のすべてに関われなくなる可能性もある」と、とても歯がゆい想いです。


上に「45」と挙げたのは、バングラデシュに暮らす少数民族のおおよその数で、ここに多数派のベンガル人と、今は、ロヒンギャ難民の子どもたちもバングラ側にいるので、47かな!(写真下)


 


 

絶対「吹き替え版」で!

先輩と最も熱く確認し合ったのは、映画のセリフを現地語に訳し、吹き替え、映画を届けることの意義。移動映画館自体は珍しいものではありませんが、少数民族の胸の内を知る私がやるのだから、絶対現地語(ベンガル語)に加えて少数民族の母語でなければならない、と思っています。さすがに47はちょっと難しいけれど……、多数派じゃない存在にも誠意と尊敬を示したいから。


ということで、吹き替え作業も、大きな挑戦となります。
子どもの頃からほぼすべてを母語の日本語で観たり聞いたりできた私たち日本人にとって、翻訳なし(字幕すらない)で映画を観るチャンスしかないという環境や、また母国語と母語が異なることでの苦悩や寂しさは、想像しがたいもの。だからこそ、最大限に「映画」を届けたい。


 


すぐにはできないことばかり、だけれど、これからも時間をかけて、ずっと、やっていこう。


 


 

経験した日: 2018年02月27日

Ambassadorのプロフィール


NatsumiA

1985年生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリーの課題制作がきっかけでバングラデシュを訪れる。卒業後、映像制作会社の勤務を経て、2014年より単身でバングラデシュに暮らし始める。主な活動地は、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの地域で、少数民族と深く関わり、写真・映像制作を行っている(ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』【国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞 および 青年海外協力隊50周年賞受賞】、写真集『A window of Jumma』【クラウドファンディング】など)。現在は、ロヒンギャ難民キャンプにも活動を広げ、ChotoBela works という現地団体を立ち上げ、バングラデシュの子どもたちの "子ども時代 / チョトベラ" を豊かに彩ることを目標に、移動映画館(World Theater Project バングラデシュ支部代表)、アートクラス、カメラ教室、スポーツデイなどを開く。また、バンドルボン県で、クミ族とムロ族の子どもたちが寄宿するキニティウという学校をサポートしている。

NatsumiAさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート