ABROADERS

  • HOME
  • ロヒンギャの子どもたちと、難民キャンプでアニメ吹き替え制作に挑戦

ロヒンギャの子どもたちと、難民キャンプでアニメ吹き替え制作に挑戦

Posted on 2019年09月30日
0
991

ABROADERS 読者のみなさま、ご無沙汰しております。前回の記事から約5ヶ月ぶりの更新となってしまいましたが、サボっていたわけではありません。


バングラデシュで暮らす生活も6年目に入り色々と変化をしながら、七転び八起きで前進し、ChotoBela works としての活動もますます活発になって、使命感と共に駆け回っています。


そんな私たちの事業の一環である、移動映画館(NPO World Theater Project と提携し、バングラデシュ支部として行っています)
昨年は、やなせたかしさんの遺作アニメ映画『ハルのふえ』を現地ボランティアの仲間たちと協力して、バングラデシュの国語であるベンガル語、少数民族のいち言語であるチャクマ語の2言語に吹き替え制作し、農村部や非電化地域の学校や村に移動映画館で届けることができました…が! 本作の吹き替え制作は、まだ終わりではありません。


 


実は、私たちはこれを「3言語」にさせてほしいと許可を得ていました。それが、ロヒンギャ語です。


国籍を認められていないとか、民族としての定義がどうとか……。そんなロヒンギャ語と述べることが気になる側の人々や、専門家などもいるかもしれません。だけど私は、ロヒンギャの人々が、彼らの話す言葉を「ロヒンギャ語」だと言うのなら、その通り認識したいという立ち位置です。


また、ロヒンギャ難民キャンプに関する記事やSNS投稿は、政治問題、支援関係、彼らの悲痛さを伝えるようなものが多いと思います。緊迫した場所として伝えられることは必要かもしれませんが、その運命の上で今生きる、彼らの笑顔や楽しむ姿を、私は主に伝えたいと思います。


 


 

1.着想、「チッタゴン方言」に翻訳

「ロヒンギャ語で上映したい」と思いついたのは、現地で長距離バスに揺られている時。バス移動の長い8~10時間はいつもたいてい眠れず、色々なことを考えます。


私の地元・青森県で、鉱山と周辺地域が栄えた歴史を聞いたことがありました。鉱山と難民キャンプは違うものですが、事情で人々が集まることとなった場所です。そこで生きていくことを本人が選んだにしても、強いられたにしても、そうなった以上、人はその場所で生きる工夫や楽しみ、希望をも見出していくものではないでしょうか。
そうして私も、縁があって出会ったその場所で、何かをするなら……ということのひとつが、移動映画館でした。


また、彼らがロヒンギャとして迫害を受けて、アイデンティティを認められないという問題があるなら、せめて私たちは、彼らの存在を認める意を込めて、映画を彼らの言葉で作りたいと思いました。


 


翻訳は、昨年ベンガル語にした台本をもとに、まずは「チッタゴン方言」に、ChotoBela worksのメンバー・ジョニー(ベンガル人)が行いました。チッタゴン方言とは、バングラデシュ南東部のチッタゴン方面(コックスバザール含む)で話される訛りなのですが、それは国語であるベンガル語を理解していても、別の言葉のように聞こえます。


そんなチッタゴン方言は、現地の人々曰く「ロヒンギャの言葉と7~9割が共通」しており、会話できるのだそう。さらには、チッタゴン丘陵地帯の少数民族語とも共通点が多く、土地と言語の繋がりを感じます。


少数民族の人々と関わって以来感じてきたことですが、みんな自身の言語を意識的に大事にしながら、周辺地域の他の言語もあたりまえにいくつか話せる能力があります。ロヒンギャの人々も、ロヒンギャ語を話しながら、バルマ語(ミャンマーの国語)の読み書きもできるし、国家も歌い、英語だって話せる人がいます。


 


 

2.RRRCオフィスで入域許可書取り、期間限定ラッキーロード

私の主な活動地・チッタゴン丘陵地帯と同様、ロヒンギャ難民キャンプにも「入域許可書」が必要です。


丘陵地帯に比べ、ロヒンギャ難民キャンプのそれはとてもスムーズに取ることができます。活動の種類や規模によるそうですが、移動映画館とそのためのロヒンギャ語音声ダビングは、ChotoBela works の活動紹介や趣旨を話して、ベンガル人の担当者も快く受け入れてくれました。申請所は、コックスバザールの海沿いの道にあるRRRCオフィス(Refugee Relife & Repatriation Commissioner、 現地では Three R C Office とも呼ばれる)。


基本は、前日に本人が赴き(金・土曜以外の9~17時)、事前に作成した必要書類1通、証明写真、パスポートコピーを提出して、その場でサインをもらえます。一度の申請で3日間分の許可証が取れます。極力本人が届け出に来ることを求められますが、スケジュール的に難しい時は、現地友人の代行でも許してもらえました。


 


過去2言語へのダビング(過去記事リンク)は、ベンガル語はスタジオで、チャクマ語は私の家で行いましたが、ロヒンギャの人々は難民キャンプの外へ出ることは許されていません。私たちがキャンプへ行くことより、彼らがキャンプを抜け出さないかのチェックのほうが、道路では厳しく行われているのです。


ベンガル人は、見た目(顔立ちや肌の色など)がロヒンギャの人々と近いので、一緒にいてもよく質疑応答を受けたりしています。そんなこんなでまた、私がキャンプに通うという、新しいダビングの日々が始まリました。


 


余談ですが、コックスバザールは「世界一長いロングビーチ」とも呼ばれる、一応バングラデシュのリゾート地です。難民キャンプへ向かう道はいくつかあるのですが、私が通った7~8月は、海に近い一本の道が道路工事で塞がっていたため、海の真横を走り抜ける期間限定道ができていました(CNG車で行き来する時だけ)。


眩しく光り輝く海辺の景色に、疲れも癒されて「ずっと工事中ならいいのに!」と思ったほど気に入り、ラッキーロードと心の中で呼んでいました。潮の満ち引きで通れる時間と通れない時間があったりして、道が現れるのを待つ……なんて自然次第なところも、私好みでした。


 


 

3.難民キャンプに通う日々 ― 雨季、渋滞、制限時間

2017年夏以降、ロヒンギャ難民の流入増大に合わせ、国際機関や支援団体、企業からの訪問者なども増え続けるコックスバザール地域。キャンプ周辺の土地や物件は空きも少なく、家賃なども高騰していると聞きます。


そんな中、ジョニーの実家がコックスバザールにあるので、制作期間中、私はそこから毎日キャンプへ通いました。
居場所があるのはとてもありがたいことなのですが、通常タフな私でもちょっと心が折れかける不便さをいくつか経験し……例えば一日の往復や活動で薄汚れる身を、せめて水浴びしてさっぱりしたい!と思うところ、ジョニーの家は茶色い水しか出ない(鉄分が多く混ざっているためらしい)などなど、気苦労が多々ありました。


 


毎朝8時半頃のローカルバス(80タカ/約100円)に乗り、コックスバザールからロヒンギャ難民キャンプへ。


渋滞(支援渋滞)で、目的地のキャンプに到着するのはだいたい毎日11時半。キャンプ入域は17時撤収の規則があり、帰りも大渋滞で、家に戻るのはいつも20時頃でした。この季節の猛暑と雨、騒音やでこぼこ道、乾きに空腹、埃や泥、機材不良が起きるなど、なかなかの修行のようでした。


それでも、キャンプに着いて子どもたちと会うと癒されるし、彼らもそんな環境で暮らしてるんだから、私も!と頑張りたくなる…その繰り返しの日々でした。


 


 

4.吹き替え ― キャスティング

私が通うキャンプに、ジョニーが ChotoBela worksメンバーになる以前から運営責任者となっている「アマデル・パッシャラ」(ベンガル語で「私たちの寺子屋」の意)という小さな学校があります。以前、運動会と第一回目の難民キャンプでの移動映画館をした場所です(記事リンク)
ダビングを始めるにあたって、まずはここの教師3名(ロヒンギャの男性2人とチッタゴン方言を話すベンガル人の女性)から声をもらおうと考えました。


そう、今回も吹き替えは素人を10人以上集め、ひとりずつ録り進めていかなければなりません。感情表現豊かなお母さん役、女の子のように柔らかい声の少年役、甲高い声でよく笑う少女役、ネズミの鳴き声そのままのように喋るネズミ役、意地悪風な少年とおばさん役など、それなりにお芝居することが必要。なので、過去2言語は子ども役でも動物役でも、大学生以上のメンバーを採用していて、今回もそうしようと思っていました。ところが、3人の先生以外、大人の配役がなかなか決まりませんでした(キャンプ内コミュニティの事情)。


クラスは9時からお昼の12時頃までで、私が着くとほぼ終わり頃。子どもたちが帰ったら教室で録音しようと考えていたら、いつもはすっ飛んで帰っていくという子どもたちが、私をジーっと見つめたり、ニコニコしたりして帰りません。私がこれから始めようとすることに興味津々となっていたようなのです。


 


「それなら…動物たちの声やってみる?」


こうして、3言語目にして初の、子どもたちと制作に挑戦するダビングが始まったのです!


予定はしてなかったけれど、思い返せば、子どもたちにカメラ教室を開いて映画制作することが、以前自分の抱いた夢だったことも思い出し(2015年、そのためのクラウドファンディングを行なってご支援いただいたにも関わらず、政治事情で半ば失敗に / 延期になってしまった)、カメラではなくダビング作業とはいえ、こんな形で実現するとは思わず、いくつかの境遇に奇跡を感じました。


 


 

5.吹き替え ― インタビュー用レコーダー、難民キャンプへ出戻り事情

今回ダビングを難民キャンプで行うと決めた後、生活音が鳴り響く環境で、且つ、手軽に持ち運べる良い機材はなんだろうかと、日芸時代の恩師やその仲間で録音に詳しい方々に相談して、Zoomのボイスレコーダーを手に入れていました(念のため予備で2つ購入)。バングラで買った電池が10分使用する毎に切れて怯えましたが(30本ほど持っていて助かった!)必要な録音ができ、また、小型な可愛さと風除けのモフモフが子どもたちに大人気。写真下は、モフモフで先生の髭を真似しています。


お猿さんB役の最年少の男の子が「ライオンの赤ちゃん(シンホーバッチャ)」という台詞をなかなか言えずに(記事トップ画像)、みんなで応援してしまったり、「せーの!」とふたり同時に声を合わせる台詞で、同時に発声することが意外と難しいという経験もしたり、良い時に限ってイスラム教のお祈りアザーンが鳴り響いたり(動画でご覧ください→ youtube)……それでも、「やってみる」と挑戦した子たちや、他の子たちも、ダビング作業を取り囲んで、毎日16時頃まで学校に居残っていました。


 


また、いくつかの足りない配役を、チッタゴン方言を話すベンガル人の友人たちに頼みました。


そのひとつを、コックスバザールの町でお手伝いさんとして働く少女にも依頼をすることに。というのも、彼女もロヒンギャなのだと聞いて、思いついたことです。


彼女は、お父さんがベンガル人で、お母さんがロヒンギャ(1990年頃にバングラデシュへ来た)だそうで、こちらで生まれ、その後お父さんが別の女性のところへ……という理由で母子家庭になったそう。お手伝いさんとして住み込みで働く彼女に、お母さんの居場所を尋ねると、「去年から難民キャンプにいるよ」と。お母さんはもう歳老い働けず、配偶者もない。それで、今なら食糧や住み家に困らないからという理由で自ら難民キャンプに行くなんて話……ロヒンギャ難民問題の専門家ではない私は、そんなことがあるのかと初耳で驚きました。5人兄弟は、自分ひとりぶんの生計を立てるために、彼女のようにそれぞれ働いているそう。


何はともあれ、そんな彼女もロヒンギャ語版制作を手伝ってくれたのでした。


 


 

6.上映 ― チョコパノサットロ

8月4日、出来上がったロヒンギャ語版『ハルのふえ』の初回上映は、もちろんアマデル・パッシャラで。


キャンプまでの渋滞も慣れたというか、道中バスに乗り込んで売り子が売ってくる「ピアンチュ」という名のおつまみをお決まりで食べたり、吹き替えメイキングシーンを頭で回想したり、さて次は何をしようかと考えながらキャンプへ向かいました。また、この日は上映のための発電機(ジェネレーター)を、途中ウキヤの町でレンタルしました。


キャンプに着くと、驚いたことにアマデル・パッシャラの生徒数人がキャンプゲートで私たちを待っていて(学校とゲートは歩いて5分くらい)、会って早々「チョコパノサットロ!」と叫んできました。それは、物語に登場する音楽の神様(フルートの名手)がチョコパンというキャラクター名なのですが、その「チョコパンの生徒」という意味で、その通りの台詞が数回あったことから、子どもたちが気に入ってしまったみたいなのでした。というか、そのチョコパンの生徒役の声をあてたのもこの子たちだったので、お前らがチョコパノサットロだよ!とつっ込み返してしまいました。


男の子は「僕が持つ!」と言って、私の肩からスクリーン(青いバッグ)を取り、坂道を足早に、一緒に学校へ向かいました。


 


 

7.上映 ー 新しいプロジェクター

ロヒンギャ語版初の上映は、日本の USHIO電機さん(Dream Projection Project)が提供してくださった素晴らしいプロジェクターを初使用して行いました。


昨年運動会を行なった空き地は、支援物資や新たな建設の資材が積み上げられていて使えず、上映は小さな教室で行うことに。入口には他の学校や近所の子どもたちまで集まり入りきれず……。写真で分かるように、入口からだけではなく、外から竹の壁の網目を通して覗き観ていた子もいました。今後は月一、キャンプ内で移動映画館をできたらと思っています。


 


ロヒンギャ難民キャンプでの移動映画館は昨年12月ぶりの2回目です。前回は、小さく薄明るい光の映写で、しかもそのために窓を塞いで酷暑のシアター環境となり、こちらとしてはやりきれない気持ちでした。それでも喜んでくれる子どもたちはいたけれど、途上国とか農村部とか、電気が通っていないことを言い訳にはせず、純粋に映画を楽しんでほしいので、私としては悔しいです。


本当に良いシアター環境や映画を届けていきたいから、それに近付かせてくれたUSHIO電機さんやWTPに、今一度感謝します。いつかは、小さな映画館をチッタゴン丘陵地帯に作ったり、オリジナルCNGでバングラデシュを巡れるような移動映画館をやっていったりしたいです。


私は心底、映画は世界へ繋がる窓だと思っています。だから今は暮らしや地域を制限されている子どもたちでも、難民キャンプで、自分たちの言葉で、一緒に作って、映画を観た日のことを、大人になって、その時はきっとロヒンギャとして尊敬されて、故郷や世界中で暮らして、みんなそれぞれの場所に帰って、離れても、こんな日の思い出を、笑って思い出してほしい。


 


 

8.子どもたちと一緒にものづくりすること

できあがった映画を観て、声を当てた子たちは照れたり、口を開けて直視していたり、周りの子は拍手したり笑ったりして、試写会に近いような状態だったけれど、その様子を見つめていて思ったのが、「あれ? 今日の上映より、制作期間のほうが、もしかして面白かった?」ということ。


これまでも、バングラデシュで ChotoBela works の活動を展開してきて、その団体名の通り、子ども時代を少しでも豊かにするため作業してきたけど、彼らは決して無力とか不足とかという存在・状態ではなく、受け身でそのままもらったり提供されるよりも、本当は自分で創造したり、経験したいのだと感じました。これからはもっと、機会を提供して、任せたり、一緒に作り上げたりすることをしていきたい。


 


難民キャンプは、ロヒンギャの人々のためにも、この場所に本来生息してた動物(象)たちや自然環境(木々の伐採)のためにも、もう大きくなってほしくないけれど、彼らがここで暮らさなければならない以上、今は少しでも生活や勉強や、笑ったり夢見たりできるように、応援していきたいなと思います。


 


 

経験した日: 2019年09月30日

Ambassadorのプロフィール


NatsumiA

1985年生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリーの課題制作がきっかけでバングラデシュを訪れる。卒業後、映像制作会社の勤務を経て、2014年より単身でバングラデシュに暮らし始める。主な活動地は、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの地域で、少数民族と深く関わり、写真・映像制作を行っている(ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』【国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞 および 青年海外協力隊50周年賞受賞】、写真集『A window of Jumma』【クラウドファンディング】など)。現在は、ロヒンギャ難民キャンプにも活動を広げ、ChotoBela works という現地ボランティア団体を立ち上げ、バングラデシュの子どもたちの "子ども時代 / チョトベラ" を豊かに彩ることを目標に、移動映画館(World Theater Project バングラデシュ支部代表)、アートクラス、カメラ教室、スポーツデイなどを開く。また、バンドルボン県で、クミ族とムロ族の子どもたちが寄宿するキニティウという学校をサポートしている。

NatsumiAさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート