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僕の起業原動力となった本と恩師の存在(個人ヒストリー後編)

Posted on 2018年12月12日
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前回は、私の学生時代について書きました。


【過去記事】組織運営、キックボクシング、起業…学生時代の「遊び」がすべて、今に生きている(個人ヒストリー前編)(リンク)


今回は後編としてその後、バングラデシュの学校で校長として働く現在に至るまでの過程や出会い、経験について書いていきます。


 


 

ターニングポイントは、ある本との出会いだった…

前回記事(リンク)で書いた、私の大きな経験のひとつである割烹料理店の立ち上げ。
お店が軌道に乗って安定した売上を確保できるようになってからも、より良いお店作りをとの想いから、外食業界の情報を集めたり、本を片っ端から読んだりしていました。


その中で、ある経営者の方の本に惹かれ、他の著書も読んでいくうちに教育について書かれた一冊の本に辿り着きました。
「教育崩壊」と題されたその本は、著者が大企業の社長でありながら、都内に中高一貫校の私学も経営していて、教育改革を実践している方です。


私も以前から教育に興味があり、学生時代には教員免許を取得していました。その本には、現在の日本教育の改善点などが具体的に示され(年功序列の廃止など)、経営する私学校で実践されていることなどが書かれていて、とても引き込まれました。そして最後の「少しでも日本の教育を一緒に変えたいという志があるのなら、本校の門を叩いてほしい!」という一節に、私自身も何か熱くなるものを感じたのです。


教育に対する考えに感銘を受けたのもそうですが、それ以上にその方の経営学を近くで学びたい気持ちが強くて、数日後にはその学校に履歴書を送っていました。
そこからあっという間に採用が決まり、次年度からその中高一貫校で非常勤理科(生物)講師として働くことに決まったのです。


 


 

現在の基盤となる恩師との出会い

当時24歳、教育業界で仕事をするのは初めてで、手探りの中での教員生活でした。まずはどこかで学びを得ようと調べている中、ある記事を見つけました。それが、私の教員人生の恩師・原田隆史先生との出会いです。


原田先生は、「陸上競技において7年間で13度の日本一を輩出した育成手法構築」「生活指導の神様と呼ばれ、問題を抱える教育現場を何度も立て直す」プロフェッショナルとして、教育関係ではよく知られた存在です。私の理想とする教師像が、まさに原田先生でした!


原田先生は現在では現場から離れて企業研修や人材育成をしていますが、当時教師を育成する私塾を開催していて生徒募集中だった為、私もすぐに応募して私塾へ参加することになりました。
講義は月に一度、計6回。ただ自己研鑽の為、毎日の課題があり、一ヶ月間それを実践し続けた成果を次回の講義で発表をする……という形式でした。


 


特に最初に参加した時の会は衝撃的で、今でもよく覚えています。
会場であるホテルに行くと、全国各地から約100名の現役教員たちが学びに来ていました。そこで原田先生の講義を聴いたり、先生の手法を塾生同士で教え合ったりしながら実践するのですが、驚くのは夜7時に開始して、終わったのは日付が変わった朝2時頃だったのです。


しかし疲労困憊かといえばその逆で、参加者の熱気や原田先生の教えにモチベーションがぐんと上がったことで全く眠くもならず、興奮状態で翌日を迎えました(笑)。


またすごいのが、この私塾はすべて無料なことです。志ある教師を育てたいという原田先生の考えから会場費用から夜食代に至るまで無料で提供してくださるのです。


 


原田先生の言葉で、特に私がハッとしたものがあります。「経営(マネジメント)を学びなさい。企業経営、家族経営、学級経営など、みんな知らないうちに経営に関わっている。それをしっかり勉強することが大切」。それからというもの、より経営を自ら意識して勉強するようになりました。


原田先生には3期に渡り大変お世話になりました。それまで参加した多くの有料セミナーや勉強会など、どのセミナーよりも有意義で人生の糧になった経験でした。先生のおかげで私なりの教育理念を確立して、現在のバングラデシュの学校経営の土台となっています。


 


 

非常勤講師からスタートした教員生活

非常勤講師からスタートした教員生活でしたが、毎年とても充実していました。


初年度はとにかく絶対的な授業力をつけようと、朝6時から夜23時まで指導案作りや教材研究に没頭していました。どうしたら生徒全員が楽しみながら理解できる授業をできるのか、日々考えながら実践していました。今思うと最初の一年間はめったに遊びに行くこともありませんでした。でも「苦」ではなく、むしろ楽しみながらやっていました。


仕事を楽しめた理由のひとつに、同僚に恵まれたのもあります。夜まで一緒に同僚と考え学び合い、時には議論する時間はとても有意義でした。


 


在籍した学校では企業と同様、教育現場にも競争原理を用いていたこともあり、教員として結果を出せば年齢・経験に関係なく昇格・昇進していくシステムでした。私は運よくも評価され、2年目には専任教諭、次年度は学年副主任、そしてその翌年はある部署の副部長……と、トントン拍子に昇進することができて、そのことで経営側の大きな仕事にも携わることができたのです。結果、外部の方々とお会いしたり仕事をしたりする機会も増え、その繋がりから今に繋がる海外の教育にも携わることにもなりました。


 


国内での学校教育に5年携わり、ある程度学校教育や経営手法なども理解できたこと、そして他の企業からもお声がけいただいたことなどもあって進路をどうしようか考えていた矢先、「バングラデシュに校長としてモデル校を立ち上げて運営してほしい」というお話をいただいたのがきっかけで、今に至ります。


前編(過去記事リンク)でも触れましたが、私は明確に目標を決めてそれに向かい努力をしてきた、というわけではありません。目の前にあることを一生懸命やってきたら、いつの間にか次のステージへの扉が開かれていて、新たな道に進んで没頭していたらまた次のステージへ……と、その連続で今があります。


人生、どこでどのようなきっかけに恵まれるかも分かりません。ただ、私にとってはこの記事で書いてきたように、さまざまな貴重な経験と素敵な出会いが繋がって、今の自分をつくっています。すべての出来事に感謝しています。


 


 


■個人ヒストリー(前編・後編)
【前編】組織運営、キックボクシング、起業…学生時代の「遊び」がすべて、今に生きている(個人ヒストリー前編)(リンク)


 


 

経験した日: 2018年12月12日

Ambassadorのプロフィール


Katsu

宮城県仙台市出身。大学在学中はプロキックボクサーとして活躍。卒業後は日本の私学教員をやりながらタイ、カンボジア、ネパール、ミャンマーなどアジアの教育支援に携わる。その後、とある公益財団法人の仕事としてバングラデシュでモデル校となる学校建設・運営を任され、生徒数約1000名の学校をバングラデシュで立ち上げる。

Katsuさんが書いたノート


バングラデシュ に関するノート